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2022年05月10日09:51

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「求めているのは慈悲ではない」

「求めているのは慈悲ではない」ウクライナ・メディアで働く女性たちが語る非常事態下のエンタメ、子供向け番組の必要性
https://news.yahoo.co.jp/articles/c18392e7be1ae4221b61898bf3c9d1c78eec89cc

という記事が目に留まりました。
ちょうど先の日記で「配慮が足りない」ともめ繰りかえしていたころです。

「戦時下における性犯罪」という話題と「戦時下におけるエンタメ番組」では対象も繊質もちがいますが、それでも「求めているのは慈悲ではない」という部分に共感するものがありました。

他のコミュでも書きましたが、日本の「自粛」「忖度」を見ていると「行き過ぎてはないか」と思えることが多々あります。

「喪に服す」という文化はあるのはわかりますが、東北大震災のあとに「飲みに行くな」「祭りはやるのは不謹慎」というヒステリックなレベルで「他人の行動批判」につながっていたところから疑問に感じていました。

コロナ禍では、パチンコが営業して密室で長時間、換気もそんなに導入されていない状況での大繁盛に非難が起これば「自粛警察だ」という声があがった反面、密集、密室なしのキャンプに「一人」や「家族」で行っただけで、やれ「途中に買い物する商店を危険にさらす」みたいな批判が起こったり、もう科学的基準や根拠もないままに、それこそパニック状態であったかと思います。

先にも書きましたが、災害や侵略など被害にあっている人たち自身が「それは不快だ」「それは傷つく」と声をあげるような内容なのかどうか、が重要なのではないか、と改めて思います。

「文化盗用」についても、私たちがなんとも思わないことを、外国でだれかわからない人たちが「日本人に失礼だ」と騒がれても「私たち」がピンとこないことを考えればわかりやすいかと思います。

その「当事者の言葉」として今回「皆さんに寄付を求めているわけではありません。」という言葉もありました。むやみと「これがいけない」「あれがいけない」とはれ物にさわるようにこちらの言動を気にしすぎるのも、それを「不謹慎だ」と非難して回るのも、「本当に彼らが求めている行為なのか」を考えてみる必要があるかと思います。
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