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2022年02月17日21:05

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叔父の思い出

先日、広島県に住む叔父の依頼で昭和28年に撮影した写真の修復のお手伝いをさせていただきました。

修復も終わりに叔父に写真が届きとても喜んでいただきました。

あの写真は叔父が学校を卒業して建設会社に就職し富山県での発電所建設をして一時的に木更津に戻った時に撮影した写真だと教えてくれました。

叔父はダムや高速道路などのアーチ部分等の特殊形状コンクリートの型枠設計をする仕事を80歳を過ぎても特殊設計でPCでも難しく出来る人がいなかった事で働いていた人です。

今回の写真の撮影前に富山県の水力発電所建設に携わった話をお聞きしました。
道もない険しい山を登る過酷な現場の仕事だったそうです。

富山県の水力発電所建設の歴史は以下に紹介されていました。

電気の歴史 富山編:電気の豆知識(デンマメ) | 株式会社北陸電設 電気・情報・通信・照明設備
https://hokusetu.co/denmame/denmame-e000156.php

叔父の長い仕事の中で忘れられない現場が「御母衣(みぼろ)ダム」だそうです。

ここで叔父は建設中の事故で大怪我をしました。
現場に弁当を運ぶ地元の方が前日にお祭りがあり配達を忘れて叔父が代わりに受取に行き帰り道の途中で悪路でタイヤをとられ車ごと崖から転落してしまいました。
幸い途中に生えていた木に引っかかって車が止まりましたがカカトから脹ら脛の肉が無くなる大怪我で長期入院になり、無くなったカカトの肉はお尻の肉から移植する大手術を何度もしましたが仕事復帰後もダムや高速道路の現場の仕事を続けました。

以前に叔父と会った時にプロジェクトXで「黒部ダム」の建設の話を聞いた時に「現場はあんなもんじゃない!テレビで言えない事過酷な現場が沢山あったよ」と建設現場の過酷な状況を教えてくれました。(本当に書けない内容でした!)

全国の過酷な現場を渡り歩いてきた叔父が「死ぬまでにもう一度見に行きたい」と言っていた現場は大変な思いをしたはずの「御母衣(みぼろ)ダム」だそうです。

以下の動画では「御母衣(みぼろ)ダム」の建設様子を紹介しております。

"御母衣ロックフィルダム建設記録 第一部 英映画社制作" を YouTube で見る
https://youtu.be/lXfAnx_xqxc

"御母衣ロックフィルダム 第二部 英映画社製作" を YouTube で見る
https://youtu.be/9IlKv0HL1eE

"御母衣ロックフィルダム 第二部修正版" を YouTube で見る
https://youtu.be/k8sfl64DGB0

こんな過酷な現場を数々渡り歩いてきた叔父があの写真を大切にしていた思いは、あの現場で働いた人たちしか分からないでしょうね。

叔父が建設に関わった「御母衣(みぼろ)ダム」の完成までには様々な事があったようです。

荘川桜 | J-POWER 電源開発株式会社
https://www.jpower.co.jp/sakura/

御母衣ダム | 飛騨高山観光公式サイト
https://www.hidatakayama.or.jp/watch/%e5%be%a1%e6%af%8d%e8%a1%a3%e3%83%80%e3%83%a0/

よくテレビなどで「名も無き多くの人たち…」と言いますが1人1人には名前もあり家庭もありそれぞれの人生がありました。

叔父の名前も数々の建設現場には残っていませんが日本の発展に人生をかけて生きた叔父の生き様を知り改めて尊敬しました。

ものづくりについて言えば母方の家は建設に関わる人が多くいて母方の祖父は地元のお寺や神社を手がけ、母方の祖母の兄弟も東京湾観音の建設に関わり、別の親戚は現在のJR木更津駅の設計をして広島県の叔父は「御母衣(みぼろ)ダム」意外にも名神高速や様々な大型工事に関わってきました。

そう思うと私が製造と充填を手伝い作った製品が東京湾アクアラインの建設で水漏れを防ぐ見えない場所に使われ間接的に関わる事ができたのもご縁だったのかもしれないと思いました。
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