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2021年06月13日20:10

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ブッダの説く幸せの道(9)正定 八正道の最終回

☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
 世界中のすべての方が幸せにありますように!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆
2021年 令和3年
6・14(日)


   ブッダの説く幸せへの道(9)正定
   八正道の最終回
  

 姫野です。
 今日京都はくもりときどき雨、時に日も射す
 一日でした。

 ど〜も、
 いかがお過ごしでしょうか。

 僕は今インド仏教史を習っているのですが
 その先生は本来「文化人類学」がご専門です。
 
 主にタイで上座仏教のありようを研究されて
 いる方です。

 その先生が若き日に
 タイで高僧にお会いする機会があり
 「仏教とは何ですか?」とお尋ねすると
 高僧の方はにっこりとほほ笑んで
 外を指さしました
 「目の前にあるじゃろ」

 僕もその通りだと感じます。


 さて、そこで仏法の教えを見てみましょう。
 ブッダが説かれた
 さとりに至る道「八正道」について

  むつかしいことはおっしゃっていないので
 すが、それだけに無視せずに
 しっかり押さえておくと幸せに役立ちます。
 

 内面の幸せはすべての人の課題となります。
 いつの世も、
 「正理」(自然科学の法則)と「法」(人の道)
 を指針として生きるのは
 幸せの基本だと僕は思います。
 

 仏教では人の苦しみの原因は
 「無明」にある。
 真理に暗い、すなわち
 自分の本質を知らず
 因果の道理に気付けない

 ただ、生活のためにあくせくして
 お金や性欲、
 自分や家族の生活の不安のなかで
 恨み、妬み、怒り、傲慢と後悔
 人間関係の軋轢の感情の波に
 漂って生きている。
 絶えず人と比べて、優越感を感じたり
 劣等感を感じたりして
 感情に翻弄されている
 人と観るのです。

 「ここから抜け出る道がある」
 ブッダはそう説かれたのです。
 
 
 今回は八正道の最後「正定」です。
 人生は誰であっても
 思う通りにはなりません
 そうすると
 全員が深い幸せははじめから
 無理な話になります。

 でもそうした、一切皆苦の人生で
 変わることのない
「深く満ち足りたこころ」「幸せなこころ」
 を獲得する道がある。それが八正道です。

 ブッダは意外に簡明に説かれています。
 
  苦しみの世から  
  滅諦に至るための道が「八正道」の実践です。
  1 正見
  2 正思
  3 正語
  4 正業
  5 正命
  6 正精進
  7 正念
  8 正定

 1 正見とは
   
   あるがままに物事を見よ
   
   あるがままに事実を観て
   嫌なことであっても
   事実ならば
   事実は素直に認め、受け入れていく
   これが人の幸せの基礎です。

 2 正思とは

   我欲を離れ
   悪意をもたず
   危害を与えない
   正理と人の道(法)に従った
   正しい考えをもちなさい。

 3 正語とは

   よい言葉を口にし、汚い言葉を使わない
   偽りを言わない

 4 正業とは

   殺し、盗み、淫行などを離れた
   正しい行いをしなさい

   自己の「行い」「行動」を
   人の道に沿ったものにしなさい
   ということです。

 5 正命とは
   正業と近いところがありますが
   主に日常の生活面で
   「よこしまな生活をするな」ということです。

   自己の日常生活面を整えなさい

   女におぼれ、酒に浸り、賭博にふけり
   得るにしたがって、得たものをそのたびごとに
   失う人がいる。これは破滅の門である。

   自分の収入に応じた
   日々の暮らしをしていく

 6 正精進とは
   善を心がける正しい努力のことです。
   
   ついつい、不善の誘惑が人を襲います。
   自分だけの利益、欲望の誘惑が襲います
   不善の誘惑をふるい落とし
   慈悲の心を奮い起こせ
   それが修行者が心がける正しい努力である

 7 正念とは
   「正しい気付き」のことを言います
   
   修行者は
   自分の身体・言葉・心について
   注意深くあるがままに観察し
   気付いているようにしなさい
   そしてむさぼる心、慢心をよく抑制しなさい

   他人の欠点はよく観察できますが
   本当に自分のあるがままの姿を
   観察することはむつかしいことといえます

  これができると、自分は良い人というだけではなく
  むさぼりの心、よこしまな心、慢心の心も持つ
  見苦しい姿の自分もみえてきます。

 8 正定とは
   静かな精神統一の境地と言われることが
   多いですが、それではわかりにくいと思います。

   特別なことではなく
   誰もが本来持っている境地と言えます。

   平穏で静かで清らかな境地
   
   僕はそう表現するのがあっていると感じます。

   「さとりの境地」というとどうしても
   特別な境地と考えがちです。
    
    ・すごい歓びの境地
    ・予知・予見能力を獲得した境地
    ・一瞬で病気を治せる超能力を獲得した境地
   などと、つい思ってしまうのです。

   その思い込みは間違いです。
   
   誰もが本来持っている
   平穏で静かで清らかな存在の境地です。

  「え〜。姫野さんそんなんじゃつまらない。
   何か人とは違って優れた能力を持っているような
   そんな世界じゃないと、苦労した意味がない」

   そう思っているなら
   まずそうではないと知ることです。

   悟っても
   お金が儲かったり、異性にもてたり
   老いや死がなくなる。病気にならない
   超能力を獲得する
   というわけではありません。

   「なんだそれなら、修行してもしょうがない」
   と多くの人は八正道の実践など興味が
   なくなるかもしれません。

   でも、お金がなくても、もてなくても
   老いや病気や死を迎えても
   幸せでいられます。


  八正道
  あなたはいかがでしょうか?


 ではでは
 愛を込めて! Mahalo!

 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
 ana38655@nifty.com

 今日も笑顔でニコッとね。

 何であれ、そこに愛が流れてこそ
 はじめてこころから楽しくなります。
 
 幸せはごく自然な
 あなたの命の本来の属性です。
 
 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」
 http://siawase1.at.webry.info/
 ご意見・ご感想などはこちら
 姫野メルアド ANA38655@nifty.com
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