今日の昼間、何気なくNHKのBSプレミアムを付けたらゴダールの「勝手にしやがれ」がオンエアーされていたので、観てしまいました。途中からなんですが、この作品の場合、ストーリーは重要じゃないので、面白く観れました。
手持ちカメラを使った街頭撮影とか、ジャンプカットなど、この作品の特徴とされる手法の多くは、現在ではありふれたものばかりなんですが、それでも映像〜カット割りの完成度は高くて、「ヌーベルバーグの記念碑的作品」と言われるだけのことはあるなと、感心してしまいました。
あと、妙に気の利いたセリフが多いところとか……、フランス映画だなと思いました。
ちなみに、反道徳的・反社会的な若者を描いているという点では、同時代の石原慎太郎とかと同じで、国境を越えて存在していた「時代の気分」みたいなものがあるのでしょう。ボクにはよくわからない世界ですが。1959年のモノクロ作品。
で、その「勝手にしやがれ」が終わった後に始まったのが、小林旭の「ギターを持った渡り鳥」。
これも1959年制作なんですが、こちらはカラー作品で、函館の風景がかなりきれいに撮れてました。
この作品が戦後映画史・日活映画史において、どのような位置づけにあるのか、詳しく知りませんが、「渡り鳥」シリーズが小林旭の代表シリーズであることくらいは知っていたので、ついつい最後まで観てしまいました。音楽ファンとしては、小林旭の歌にも、それなりの興味がありました。
初めて観る作品なのに、どこかで観たことがあるようなシーンやエピソードが満載なのは、定番中の定番を体現している、ということなんでしょう。風来坊な男が、風光明媚な地方で女性と出会うという(西部劇的な)設定は、「男はつらいよ」などにも通じるパターンですが、そのルーツが「渡り鳥」なのかどうかは、よくわかりません。
基本コンセプトは、西部劇とかギャング映画の翻案。この作品では出てきませんでしたが、シリーズ化された後の作品では、小林旭が馬に乗ってるシーンなどもあるようです。そこまでやっちゃうと、いい意味でも悪い意味でも“無国籍”なんですが、この作品では、辛うじて日本の物語に見えました。
なによりも印象的だったのは、当時は二十歳そこそこだった小林旭が、今の竹内涼真みたいな爽やかな感じだったことです。彼以外でも、浅丘ルリ子とか、金子信雄とか、あまりにも若すぎて、最初のうちは誰だかわかりませんでした。さすがに、宍戸錠は一目でわかりましたが。(^^;;
2作品とも、映画として楽しんだというよりは、歴史の史料として勉強させてもらったという感じです。ただ、やはり小林旭の歌声は良いですね〜。そこだけは純粋に聴き惚れてしまいました。
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