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2020年11月27日22:09

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『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

原作は未読。TVシリーズは踏破。
少年漫画の王道だなぁと、素直に楽しんだ。
そして、映画。
ここまでフィーバーするとは思わなかった。
当初関心が薄かったが、興行収入300億円目前となると、逆に劇場に行かないのが無駄な痩せ我慢に思えてきたので、見てきた次第。

で、感想。
正直、映画単体でとらえると、終盤までメリハリが乏しく、やってることが薄い。TVシリーズの焼き直しのような小芝居で時間を無駄にしている。ファンサービスのつもりかもしれないが。
そして、本来見せ場のはずの列車のシークエンスが、クライマックスの感情的な高揚に何ら貢献していない。

この映画の基本的な物語は「師弟関係」だと考える。
師匠の戦いに対する思想(技術も含めて)を、弟子が学び取って、受け継ぐ話。
では、ここで描かれる(はず)の師匠の戦い方(考え方)とは、敵を倒すこと以上に「弱者を傷つけないこと、守ること」。 ただ単に戦いの技術を駆使して、強敵を倒す(戦術)のではなく、目的を明確にして、それに向かって手順を積み重ねる(戦略)ことを優先する。 言葉にして教えられるのではなく、こうした姿勢を弟子が見て、感じ取る状況が、列車のシークエンスには必要だったはず。
そうした描写がない。
ので、終盤のシークセンスがそれだけ独立して付け足された印象。 しかもそこの印象が、それまでのシークエンスを凌駕するインパクト。 これでは映画としてバランスが取れているとは言い難い。

基本的なテーマは普遍的なもので、別の作品でも見ることは出来る。
重要なのは、それを語るキャラクターたちに個別の個性があるかどうか。
その個性とは、彼等が何をしたいのか、そのためにどのような方法、技術を駆使するのか。そこを丁寧に描くことが、作品特有の個性になるはず。
それだけに、主人公たる「弟子」の成長を描写する上で、師匠から学び取るシークエンスは、主人公の個性を造形していく上で大事な描写になり得たのではなかろうか。
それらが成立条件はそろっているのに、それをしなかった中盤のアクションが、実は映画的に一番無駄(というかもったいない)。
そこが残念なところ。

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