喪中でめでたくはなくても年は明けました。明けた途端にふたたび緊急事態宣言となりましたが、もはや昨年のようにはいきません。駿台の冬期・直前講習は、完全に元に戻っています。
一昨年末から昨年の年初まで大騒ぎした大学入学共通テストが例年並みの平均点であっけなく終わり、私は来週金曜日(29日)の早大プレ講座を終えると、三月末までの冬眠に入ります。
1月2日の準決勝で明治が天理に惨敗するのを早稲田はしっかり見ていました。天理の強さは十分にわかっていたはずですが、それでも8トライを奪われて28−55でやられました。開始10分で続けざまに2トライを奪われたのは、52−14で早稲田が天理に勝利した昨年の準決勝と正反対でした。
天理大の個々の強さはともかく、束になっての破壊力。特にブレイクダウンの2人目勝負で早稲田は後手後手に回り、気付けば8失トライ。
石川県からの二人の留学生シオサイア・フィフィタとアシペリ・モアラのすごさはわかっていましたが、フィフィタは早稲田が自分を意識していることを十分にわかっていて、自分に早稲田デフェンスの意識を引きつけてゴール前でホイッとパスを回しました。
フィフィタにディフェンスの意識を集中していた早稲田は簡単にゴールラインを割られました。
天理大学の小松節夫監督は、
「過去の決勝に出たチームと比べると経験値が高かった。1年生の時から3回悔しい思いをした今年の4年生が数多くいた。決勝にかける思いが過去2回に比べて強かった」「(来季は)怖いですよね。あの明治さん、早稲田さんが天理を意識する・・。今季は一昨年明治さん、昨年早稲田さんに負けたことでの悔しさがベースにあったんですよね。今度は逆に向こうが『打倒天理』・・・と思うかどうかはわからないですが、我々を目標にする。いまは我々に、悔しさがいったん無くなってしまっているわけで。これからどうアプローチし、チャレンジャーとして挑戦するかが大きな問題です。勝ったので来季のハードルが上がってしまった。そんなような気もしますね」
早稲田の相良南海男(さがらなみお)監督は、
「天理大学が本当に素晴らしいラグビーをした。天理大の圧力に自分たちの力を出させてもらえなかった。この悔しさを来年以降につなげてまた頑張りたい。(コロナ禍で)いろんなところとゲームできず、選手というより我々(指導陣)の引き出しが少なかった」と言い残し、当初予定されていた3年間の監督任期を終えて、4月からは三菱重工に戻って仕事に専念するそうです。
一昨年、「もう早稲田は永久に帝京に勝てないのではないか」という絶望的な観測を打ち破り、昨年はよくぞ明治との新国立決戦を制して優勝してくれました。素晴らしい監督だったと思います。早稲田大学高等学院出身で政治経済学部卒なので愚兄の直接の後輩でもあり、昨年は愚兄が鬱病を吹き飛ばして喜んでいました。病院で母のベッドに備え付けのテレビで騒ぎながら見ていたら、「バカっ!病院で大騒ぎするなっ!」と怒られましたが。
ところで、今年は準決勝も決勝も見に行きませんでした。切符を買えなかったからということもありましたが、去年はそれでも準決勝には行って明治のOBに切符を譲ってもらったのです。
実は元日の晩に左腰にかなりの火傷を負いました。喪中ながら松戸の実家でささやかな宴会を開いたのですが、ケチなはずの愚兄が高級酒「獺祭」の五合瓶を3本も持ってきて、そのうち一升以上を私が空けてしまいました。兄たちは「こいつはまた今年も仕方のないバカであることよ」と、酔って寝込んだ私をそのままにして散会したのですが、2日の午前3時頃、左腰に猛烈な熱さと痛みを感じて飛び起きてみると、夕刻に身につけた使い捨て懐炉が左腰に回り、そのまま左体側を下にして寝込んでいたので、見事に低温火傷をやっていたのでした。
母が存命だったら大目玉を食らっていたところです。
翌朝には4センチ×7センチくらいの巨大な水疱ができており、病院は開いていないので、マキロンで消毒して滅菌ガーセパッドを貼り、5日午後になってようやく病院に行きました。病院での治療も結局消毒と滅菌ガーゼで、そのまま年明けの冬期・直前講習に出講し続けました。
かなり大きな瘡蓋状になってはきましたが、まだズボンのベルトが当たるとかなり痛みます。
こうなってみるとラグビーワールドカップ観戦時に横浜国際競技場で見たスコットランドの男たちが皆スカートを履いていたのが本当にうらやましく思えます。しばらくスカートを履きたいです。
来週は時間がとれるので、火傷の治療がてら初スキーは草津に行こうと思います。草津の温泉は切り傷・擦り傷・虫刺されに火傷にと、恋の病以外はなんでも治してくれるそうなので。
今年もコロナは相変わらずですね、皆様どうぞ御自愛ください。
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