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2020年12月01日15:26

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原発雑考第389号の転載   菅首相のカーボンニュートラル宣言  危機の時代と再エネなど

原発雑考第389号の転載です。

2020・12・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


菅首相のカーボンニュートラル宣言

 菅首相が施政方針演説で2050年までに温室効果ガス(GHG)の排出を実質ゼロにすること(カーボンニュートラル)を宣言した。
その少し前に始まった新しいエネルギー基本計画策定作業における経産省の姿勢などからすれば、この宣言は唐突のように感じられる。しかし2050年カーボンニュートラルはすでに世界の趨勢であり、それに背を向け続けるのは不可能なことは明らかだった。本誌387号で最近の矢継ぎ早で露骨な原発・石炭火力優遇策は2050年カーボンニュートラルを電力関連業界に受け入れさせるための代償措置ではないかという主旨の指摘をしたが、どうやらそれが当たっていたようだ。
 菅政権がカーボンニュートラル実現のためにとりわけ重視しているのが新技術の開発である。一般に新技術に依存して課題の解決を図るのは、技術開発に携わるメンバー以外にとっては個人的に楽な方策である。自分はなにもしなくてよいからである。技術開発に携わる科学者・技術者やそれをサポートする官僚なども、よほどのことがない限り開発に失敗しても個人的責任を問われることはないし、開発過程においてはふんだんに資金(国のものであれ、企業のものであれ)が回ってくるから、基本的には大歓迎だろう。こうしてみんなが楽をするのだから、政治家もこの手法を好むのである。
 期待を寄せられている技術は、CO₂回収・貯留、アンモニア発電、カーボンリサイクル、それに新型小型原発などである。これらの技術についてはいずれ紹介、検討していくつもりだが、すでに有用性が否定されていたり、実現可能性がまったく不明であったり、自然条件から日本には向かないと見なされていたり、という代物ばかりである。
 2050年カーボンニュートラルは、政治・経済を含む社会全体、人びとの生活全体の大変換を要請する。菅首相の宣言は中身が空っぽだが、この宣言によってこの問題がこの国でも政治の舞台に乗ったことは確かである。


危機の時代と再エネ

 世界は多面的な危機の中にある。
 広い目で見ればもっとも深刻なのは環境危機だろう。地球温暖化と熱帯雨林を始めとする森林の破壊がとりわけ大きな問題である(温暖化と森林破壊は密接に関連している)。マイクロプラスチックスによる海洋汚染も指摘されるようになった。これらはいずれも、資源の大量消費に支えられた現代の経済システムと、それによって作り出された濫費的生活様式がもたらしたものであり、それらの根本的な転換なしには解決不可能な問題である。
 最近、プラネタリー・バウンダリー(環境面で地球には限界があり、多くの面でその限界にすでに逢着しているという指摘)、6度目の種の大絶滅期(地球では過去に5度の種の大絶滅期があったが、現在、人間の活動の結果として過去の大絶滅期に匹敵する種の絶滅が進行しているという指摘)、人新世(人間の活動が地球を破壊する新しい地質時代が始まっているという主張)などの指摘や主張が提出されている。それらが厳密にいってどれほどの妥当性を有しているかについては議論の余地があるだろうが、環境危機の深刻さにたいする鋭くて根本的な問題提起であることは確かだ。
 社会においても、グローバル資本主義の下での格差と貧困の世界的な拡大や人種差別の激化、ポピュリズムや極右の台頭など、総じて社会の分断と政治の不安定化(民主主義の機能不全)というべき現象が広範に見られる。世界大に広がる難民問題はそのもっとも痛ましい事例だし、最近のアメリカ大統領選挙は、世界でもっとも富裕な国においても多面的な分断が社会を切り裂いていることを明らかにした。
 ただしアメリカについていえば、社会の抱えるさまざまな問題にたいして声を上げ行動する人が多く(とりわけ若者に)、ここにアメリカの希望がある。残念ながらその対極にあるのが日本だ。
 環境の危機と社会の危機がいくつかの面で深く関連していることはいうまでもない。ところでこの人類史的危機とでもいうべき時代の一つの希望が、発電を中心にして再生可能エネルギーの利用が広がっていることである。
 人類はこれまでにさまざまなエネルギーを利用してきたが、いまでは電気が決定的に重要なエネルギーになっている。この傾向はこの先も変わることはない。その電気の獲得の仕方=発電の方式として、再エネ発電は他の発電方式にたいして多面的に優れている。このことについては本誌で繰りかえし述べているので、以下では簡単な確認に止める。なお、念頭に置かれているのは、再エネ発電の中心をなす風力発電と太陽光発電である。
 ・再エネ発電は、原発や火力発電よりも環境負荷が圧倒的に少ない。
 ・経済性についても、すでに原発より優れており、近い将来において火力
  発電を凌ぐようになるのは確実である。
 ・潜在的な供給能力が高く、供給安定性も高い。
 ・10億人が住むという世界の非電化地域の電化の最良の方法である。
 ・節電・省エネと相性がよい。
 最後の点について説明すると、再エネ発電は、近傍に存在し、自分(たち)で行うことができるという意味で、身近にある発電システムである。そのことが人びとのエネルギーへの関心を高め、節電・省エネ指向を強めることにつながる(その対極にあるのが原発だ)。
 これらのメリットを有する再エネ発電が地球温暖化を始めとする環境・エネルギー問題の解決にきわめて有効であることは明らかだ。再エネ利用はさらに
 ・原料資源の獲得競争の必要がないので、国際平和に寄与する。
 ・経済的、社会的に地域自立の有力な手段になる。
 ・個人や小集団でも係わることができる。
という長所があり、これらがグローバル資本主義のもとで広がる社会的分断と格差の緩和に寄与することも明らかである。
 危機の時代に合わせるかのように再エネが利用可能になったのは、たまたまこの時代になってその技術的基礎が整えられたという意味では偶然の産物であるが、危機に対処するために多くの国で再エネ利用が政策的に促進された結果であるという意味においては必然の産物である。危機の時代にはそれに対抗する手段も生み出されるということであろうか。
 再エネ利用が広がることは大きな希望だが、見落としてならないのは、そこでだれが主導権を握るかという問題である。国家や巨大資本が主導権を握れば、主力電源が原発・火力発電から再エネ発電に交代するだけで終わってしまう可能性が高い。それでは再エネ利用のメリットの多くは失われ、格差と分断の緩和への寄与どころか、脱温暖化の達成すら困難になりかねない。
 大事なのは地域に根ざす個人・グループの奮闘である。彼らが巨額の資金を要する洋上風力発電などに取り組むことは困難かもしれないが、自家や地域での再エネ利用に取り組み、そこで温室効果ガス排出ゼロを達成することは十分に可能である。そして、そのような取り組みの集合こそが、脱温暖化、格差と分断の緩和、さらには生活様式の変革に繋がっていくのである。


雑 記 帳

 11月上旬に私が強い関心を持っていた3つの投票が続けさまにあり、すべて望んでいた結果になった。大阪市の存廃の可否を決める住民投票、アメリカ大統領選挙、そして豊橋市長選挙である。大阪市の住民投票とアメリカ大統領選挙は、終わってみれば鮮やかな逆転勝利だったが、途中はハラハラし通しだった。豊橋市長選挙は、応援した候補が自民・公明推薦の現職に得票で2万票強、得票率で16.5ポイントの差をつけて圧勝した。
 私が豊橋市長選挙に強い関心を持ったのは、それまでの市長が動物愛護に冷淡で、その影響からか、末端の市職員が「公園美化の観点から公園にいる猫は減らしたいが、保護は関係ない」などという暴論を公然と吐くような状況があったからである。新市長は県議のときから動物愛護に熱心で、動物愛護団体とも親密な関係にある。この市長の誕生で豊橋市の動物愛護にたいする姿勢は変わるだろうし、そうなればいくらか安心して公園猫の保護活動に取り組むことができるようになる。
 嫌なことが多く鬱々としていたので、この3連勝ですこし気が晴れた。
 家の前の公園にあるナンキンハゼは、きれいに紅葉することがあるのだが、去年と一昨年は台風の強風と塩害で紅葉するまえに落葉してしまった。今年は、台風はなく、順調に色づいていたので期待していたが、11月中旬に記録的な高温が続いたせいか、紅葉しきらないで散ってしまった。こうして今年も紅葉は楽しめなかったが、枝に残された無数の真っ白な実が晩秋の澄んだ青空をバックに陽光を浴びて照り輝いているさまは、なかなか見事だった。

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