暗い道を歩いていると、路傍の石に老婆が一人座っています。
「あれ、母様ぢゃありませんか。まだこんな所にゐたのですか」
「わう、おまへ!いやぁ探した探した。ここがどこかわからず随分心細かったぞ」
「ここがどこかって、母様。ここは中陰(ちゅういん)ですよ。」
「中陰とはなんだ。母は知らぬ」
「中陰といふのはですね、人が死んで三途の川を渡ると閻魔大王の裁きがあるでせう。そこに行き着くまでの期間に滞在する、まぁ待合所みたいなもんですよ。四十九日目に閻魔大王の裁きがあって、次に行くところが決まりますからね」
「さうか。母は死んだのであったな」
「えぇ、さうです。死んだのです」
「母が死んでからだうだ。何か変ったことはあったか」
「七月場所の相撲で、照ノ富士が優勝しました」
「なんと!母があんなに応援しているときには負けて休場してまた負けて、序二段にまで落ちたのに、幕内に復帰して優勝したか」
「えぇ、母様も喜んでください」
「あな口惜しや!それをも見ずに死ぬとは一生の不覚だ!」
「えぇそれからね、延期延期また延期でたうたう八月の開催になった東京六大学野球は慶應が優勝しました」
「なんだ慶應か。野球で勝ってゐるやうでは、馬鹿になったものだ」
「あっ、それから安部晋三が辞めることになりました」
「それはよかった。あれはただ家業の政治屋を継いでいただけだ。だうしやうもなかった」
「次は菅義偉(すがよしひで)が総理大臣です」
「代はり映えしない話だな。だうせ、安部晋三で旨い汁を吸った連中が、できるだけ変はらないやうに暗躍したのであらうよ」
「まぁ、そんなところです。石破さんは今回も駄目でした。で、だうですか、死後の世界は」
「だうって、暗くてまだなにも見ておらぬ」
「まぁ、中陰だからさうでせうね。閻魔大王の裁きが終わったら、生前の行ひに応じて、天上・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄の六道の中のどれかに転生しますからね」
「天上と人間と地獄はわかるとして、あとの三道はなんだ」
「修羅道ってのは戦争地獄ですよ。子供の頃に経験済みでせう」
「あぁ、あれか。いやだいやだ。まう戦争はたくさんだ」
「餓鬼道は簡単です。ずっと飢えに苦しむのですよ。食べ物を粗末にしてゐる奴はここに行くのです」
「それも嫌だな。贅沢したいとは言はぬが、おなかが空かないくらいに食べて、時々はごちそうも食べたい」
「それぢゃ、生前と同じぢゃありませんか。畜生道に生まれると、馬や牛になって、ずっと人間にこき使われます」
「この年になってそんなことされては死んでしまふ!」
「また生まれ変わるんだから0歳からやり直しですよ」
「畜生道でもまじめにやり直してゐたら、天上界に生まれ変はれるか」
「えぇ、生まれ変はれます」
「さうか。では希望はあるんだな。で、天上界で『天国良いとこ一度はおいで、酒は旨いし姉ちゃんはきれいだ』と「帰ってきたヨッパライ」みたいにやっていたら」
「さうしたら今度は地獄道に堕ちますな」
「どこに生まれ変はってもまじめにやらねばならんのかぁ!あぁうんざりだ」
「さうならないこともあります」
「なんと!」
「仏様の教えに従ってちゃんと修行して、この世に残った私どもがちゃんと追善供養をすりゃぁ、生前の行いに応じて次々に六道を輪廻(りんね)することから出られますよ。これを解脱(げだつ)と言ひますがね」
「するする。母は解脱する。おまへらはしっかり供養せねばならんぞ」
「してゐるぢゃありませんか。手始めに『錦心院寿了英香信女』といふ戒名を貰いましたからね。解脱のパスポートを買ったやうなもんですよ」
「ふーむ、院信女か。まぁ、父様が院信士だから釣り合いが取れてよからう。いくらした」
「八十万円。そんで、通夜と告別式と初七日のお経三点セットが戒名と同額」
「なんと!寺にそんなに払うとは馬鹿の極みだ!」
「だって、母様、寺では住職が代替わりしてから前の住職のおかみさんが会計一切を取り仕切ってゐて、院居士・院大師から始まってただの信士・信女まで全部料金表ができていやがって、値段の交渉ができないやうになっちまったんですよ。まうあの寺の檀家は辞めたいです」
「うーむ、因業(いんごう)な女将であることよ。おまへの葬式は別の寺にしてもよいぞ」
「えぇ、さうさせてもらいます。浄土真宗なら安いでせう」
「それはさうと、おまへ。母の葬式の団子を作ったのはおまへだな」
「はい、うちにあった上新粉を全部使ってたくさん作ったら、葬儀屋が葬送の団子は六個に決まっていると言ふので、小さい団子を全部練り合わせて六個にしておきましたよ」
「これぢゃ、まるでおにぎりではないか!食べにくくって仕方ない。まうすぐ解脱するとといふに、まだ三個しか食べてない」
「まだ三個あるんですね。途中で犬・猿・雉がゐたら、ひとつづつやるとよいでせう」
「それでは母が桃太郎のやうだ」
「はっはっは!しかし、母様のやうに自宅で子供らに囲まれて死ねるなんざぁ、今時幸せですよ。コロナに感謝しなくちゃぁね。コロナでも無けりゃや、病院で死ぬことになってゐましたよ」
「腹に水が溜まって、パンパンになって、それが肺も圧迫し始めて苦しくって、まういいや、まう死んでしまわうと思って息を止めたら突然また息を吹き返した」
「私が心臓マッサージをしましたからね」
「とんでもない馬鹿力でマッサージしやがって、死ぬかと思ふたぞ」
「死ぬどころか短時間でも生き返ったぢゃありませんか」
「うむ。薄目を開けたら、おまへが鬼みたいなものすごい形相で心臓マッサージしてゐるから、おどろいてまた息が止まってしまった」
「あれが7月15日の18時57分。それっきりでしたな」
「うむ、それきりだ」
「あのあと訪問看護婦の秋山さんが来て、脈拍と心音と呼吸と瞳孔を見て、そんで20時20分にナントカといふ若い往診医が来て、やっぱり脈拍と心音と呼吸と瞳孔を見て、死亡診断書を書きました」
「死因はなんと」
「死因は『転移性肝腫瘍』で、その原因の欄には『胃癌』と書いてありました」
「なんだ、意外性のカケラもないな」
「あたりまへですっ!そのまんまですよ。ねぇ、母様。一つ大事なことを伺いますから、ちゃんと答えてくださいよ。まう、死んでしまったんだから私も怒りませんから」
「ふむ、何でも聞くがよい」
「母様の胃癌が発覚して最初に入院した去年の9月19日の後、皮肉にも松戸の保健所から『胃癌検診のお知らせ』がきて、母様は、『おまへらが誰も保健所に連れて行ってくれないから、今まで検査を受けなかった』と言ひましたね」
「うむ、言ふた」
「あれ、嘘でせう」
「むぅ」
「記憶をたどってみたのですが、一昨年の秋の終わり頃、『胃癌検診を受けたら再検査の要有り、といふ通知が来たから、再検査に行ってくる』と私に言ひましたよ。で、その翌週に『再検査はだうでしたか』と私が聞いたら、『なんだかよくわからんが、なんともないやうだ』と変な答へ方をしましたな」
「さうだったかな。何しろ年寄りだから記憶が・・・」
「母様、怒らないから誤魔化さないでくださいよ」
「ふむ。実は、その再検査で『すでに胃に癌ができてゐる可能性があるから精密検査に行け』といふ通知を貰った」
「で、精密検査は受けなかったと」
「ふむ」
「やっぱりさうか!ステージ4になるまで何の兆候もないはずがないと思ひましたよ。なんですぐに子供らに言はなかったんですかっ!」
「だっておまへ。そのときには痛くもかゆくもなかったし、入院なんてしたくなかったし、もっと悪くなったらそのときに手術して治してしまへばいいやと思ったし、ほっといて治るかもしれないし・・・」
「ほっといて治るわけないでせう!大腸癌から肺に癌が転移して呼吸不全で死んだ父様を見てゐるのに!なんといふ馬鹿なことを!」
「おまへは、怒らないと言ったではないか!それなのに怒るのか!」
「怒りますよ!去年の九月から今年の七月まで、我が家は母様のことにかかりきりだったんですよ!」
「母とて、お婆さまの時には97歳で死ぬまでかかりきりであったわ!」
「ちぇっ。2年前の秋にもっと母様の検査結果を気遣っていりゃぁ、この一年の大変さもなかったわけだ。あ〜馬鹿馬鹿しい」
「大変さって、おまへ!親の介護をするといふ孝行の機会を与へて貰っておいて、その言いぐさはなんだ!」
「孝行の機会を与へてってねぇ、母様!ぢゃ、母様は胃癌を承知の上で、出雲大社に行ったり、台湾の金門島に行ったり、広島の厳島神社に行ったり、香港やマカオにまで行ったりしたのですか」
「ふむ、さうだ。こりゃ急がねばならぬと思ったでな」
「急いで行くのは、物見遊山よりも病院でしたなっ!」
「病院に行ってゐたら、どこにも行けないところであった。おかげで連れて行ったおまへも母に孝行ができた。よいではないか」
「あ〜あ、とんでもない親の子に生まれてしまったもんだ」
「もし次に人間道に生まれ変はったら、またおまへを生んでやらうか」
「まう、母様の子は嫌ですよ。次に生まれてくるときは、両親とも戦後生まれで民主教育を受けてゐて、祖父母のゐない核家族で、文化住宅に住んで、はじめからカラーテレビと洗濯機と自家用車があるやうな、そんで、やたらに子供をぶん殴らない、進歩的な家の子に生まれたいもんです」
「かっかっか!そんな家の母親では、おまへらの面倒なんぞ見られるもんか。マッタク、けふは学校に呼び出され、翌日は警察に呼び出されて頭を下げなきゃいかん親の身にもなってみろ」
「その分この二十年は孝行して、どこにでも連れて行ったし、食ひたいものは何でも食はせたでせう!」
「ふん、結局おまへが家の束縛を嫌って一人暮らしなんぞするから、母の『要再検査』にも気がつかぬやうなことになる」
「だって、だってねぇ、我が家はあまりにも・・・・あれ母様、真っ暗かと思ったてゐたら、目が慣れてくれば結構人がゐますな」
「さうだな。あれ、あそこにゐるのは石橋さんの旦那さんではないか」
「あぁ、さうでした。母様が死んで十日ばかりして亡くなったのですよ」
「さうか、若いのに気の毒になぁ」
「えぇ、まだ七十九ださうです。あっ、さうだ母様。大事なことを言い忘れてゐました。先週、牛久のおばさんが亡くなりました。母様よりは三つ上だから昭和九年生まれですが、すぐうへの姉さんでしたな。仲が悪かったですけど」
「うむ。せっかく新制高校に入ったのに勝手に退学届けを出して辞めてしまったとんでもない姉だ。その上の姉二人とは喧嘩ばっかりしてゐた」
「それが、お通夜の席では、『読書好きのおだやかな方』と皆さん言ってゐましたよ」
「けっ!馬鹿馬鹿しい。そんなのは葬式世辞といふもんだ。真に受けるでない!」
「しばらくここで待ってゐれば追いついて来るでせう」
「うわっ、嫌だ嫌だ!死んでまであんなのと喧嘩したくないっ!さぁ息子、母を早く裁きの場に連れて行かんか!まう何道に生まれ変はらうと構はぬ!」
「駄目ですよ。一緒に行くわけにゃぁいきません!私は現世で母様の四十九日法要をしなけりゃならないんだから」
「いつだ」
「明日です」
「むぅ!さうか。ではせいぜい供養して、次の輪廻を楽にしてくれ。よいか!目指せ解脱だっ!」
「はい、承知しました。母様さやうなら」
「ふむ、さらばだ息子!」
腹水が抜けて、足のむくみも取れてすっかり身軽になった母は、納棺で着せた白い着物に草鞋を履いて川の流れに向かってスタスタと歩いて行ってしまいました。頭陀袋(ずだぶくろ)にはまだ三個の団子を入れたまま。
そこで私も目が覚めました。
明日の日曜日、四十九日法要と納骨です。これで本当にお別れです。
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