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2020年06月13日22:35

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病院の治し方

病院の治し方」という、小泉孝太郎主演のドラマをご存知でしょうか?もともとはテレビ東京で以前にやっていたもので、最近、私のまちでも見られるようになり、毎週楽しみにしています。
 このドラマは、私の家から車で30分くらいのところにある「相澤病院」という実在の病院の経営再建を描いたドラマであり、私も相澤病院にはお見舞いなどで何度か訪れたことがあるので、「あの病院に、こんなドラマがあったのか」と、万感の親しみを込めていつも見ています。

 ドラマのあらすじは、東京の大学病院に勤務する若き医師「有原修平」は、故郷で病院を経営する父親が倒れたと聞いて実家に戻ります。父親は残念ながら亡くなってしまうのですが、父の病院の経営状況が、実は倒産寸前と知って愕然とします。修平にとっては病院内の様々な改善点が目に付くのですが、長老の医師たちから、「あなたは院長の息子とはいえ、部外者でしょう。」「なんの責任もない人間は余計な口をはさまないでもらいたい」と、たたかれてしまいます。
 亡くなる前の父の面影、子どものころから親しんできたこの病院、いろいろな思いが心に去来した修平は、ついに東京の大学病院をやめ、この病院を継ぐ決心をします。

 東京から戻った修平は、父の後を継いで理事長に就任し、そして、心に思い描いていた改革に挑戦していくのです。
 ところが、人間というものは概して「変化」というものを嫌うものです。みなさんに例えれば、自分の職場に新しい上司が就任して、様々な改革を行ったとします。そんな時、「今まではこうだったのに・・・」と、多かれ少なかれ誰もが心のどこかで思うことでしょう。   いわんや、この上司を快く思はない古参の部下などは、露骨な反発を示すこと必至でありましょう。

 修平の改革もそうでした。地方のしがらみや、既得権などでガチガチになっていた病院は、長老の先生や看護師たちをはじめ、薬剤等の取引業者まで、軒並み彼に反旗を翻しました。
 けれども修平は、そんな因襲の壁にも決して負けることなく、自らの信念をつらぬき、看護部長や少数の味方の先生たちの力を得ながら、信念を持って行動をし続けました。その決してぶれない意志の強さに、銀行から派遣された事務長である倉島亮介も、徐々に修平に魅せられ、銀行の監視役という立場を離れて、本気で彼の病院再建を助けたいと思いはじめます。そして、銀行をやめる決心をするのです。
 こうした修平の信念と粘り強さが、倒産寸前と言われていた地方病院を徐々に再建し、その地域になくてはならない病院に立て直したのです。

 本来、ほとんどドラマなど見ない私ですが、これだけはなぜか見られない日は録画までして見るというはまりようでした(笑)。決して地元の病院をモデルにしたドラマであるというだけではなく、もっと心を打つ何かが秘められているドラマであると思っていたのですが、本日最終回を迎えて、それが何かわかる気がしました。

 このドラマを見られた方は、大きな組織のしがらみに切り込んで、果敢に改革を実現していく修平の姿に、大きな魅力を感じる方も多いと思います。
けれども、そんな人でもきっと心のどこかで、こう思っていたことでしょう。この先生は比類なき才能と実力の持ち主であり、加えて、神仏の愛を独り占めしているかのような、信じられないほどの強運に恵まれた人である。何十年かに一度くらいは、そんな超人的な人も出るかもしれないが、凡人の我々とは縁のない存在である、と・・・

 ところが、私は今日、このドラマの最終回を見て思ったのです。このドラマにおける修平の成功物語は、決して雲の上の物語ではなく、万人がこのような人生を送ることが可能であり、かつ、そのように生きるための法則を惜しむことなく私たちに提示したドラマであると確信したのです。

 以前、私は「妙義山の思い」という日記を書きました。その中でお話しました。
 「人間の思いには力がある。この思いを、ある一点に集中すると、そこに強力な物理現象が現れてくる」と。
 「人の一念、岩をも通す」と言われるとおり、その力は私たちが想像するよりもはるかに強力な力なのです。

 修平は「この病院の赤字体質を改善する。そして、地域の人々に喜ばれる病院に必ず立て直してみせる」と決心しました。そして、次に自分の心の中を点検しました。「この決意は愛の思いに基づいたものか。自我我欲や、自己顕示欲にまみれたものではないか」、その結果、「この私の決意に一切の私心無し」と、断定したのです。他の言い方をすれば、「私の決意は神仏のみ心にかなっている」という確信を修平は得たのです。欲にかられた行動であれば、ちょっとした壁ですぐ挫折してしまいます。しかし、修平の持った、「自分の決意は神仏に喜ばれている」という自覚は、絶対の自信をその人に与えます。だから、どのような罵声を浴びせられても、どんな、壁にぶつかっても修平はひるむことはありませんでした。逆に、大変なときほど「絶対に大丈夫です」「必ずうまく行きます」と、常に積極的な言葉を発し続けていました。実はこれも、現実的な力を持った一つの成功法則なのです。

 念の具体的な現れである「言葉」には力があります。「言葉の創化力」とでもいえばいいのでしょうか?修平の発した力強い言葉は「言霊(ことだま)」として、修平とは関係なくその波動は仕事をしていきます。強固な反対者にも、「まてよ?」と、もう一度考えさせるくらいの力が、念を込めた言葉には十分にあるのです。

 困難、不可能と言われた病院の再建に対して、修平は前進をやめませんでした。そんな修平の姿を見て、銀行から派遣された事務長はじめ、医者たちの中からも次々と協力者が現れてきます。テレビを見ている人が一番、「これはドラマだからな」と感じるのがここのところではないでしょうか。作り話だからこうなるのであって、現実の世の中は厳しいものだ。こんな次々と協力者が現れるなどということはありえない、と。

 けれども、これも実は、心の法則どおりなのです。修平のように、不動の信念を持ち続ける。そして、常に希望実現のために、良き念波を発し、良き言葉を出していると、心の世界で、これに同調する他人の年波と感応しあい、やがて現実の世界でも、その実現に向けて大きく動いていくのです。

まず、自分の決意を固めること、決意したら決してぶれずに、その念を持続すること。
どんな困難にあっても積極的な言葉を出し続けること。
 これだけなのです。「確信が道を開く」のです。
実は、協力者というのは目に見える人だけではないのです。目に見えない世界にこそ、強力な助っ人が控えているのです。そんな、目に見えない世界の協力を得るにはどうすればよいか、それを余すことなくお伝えしているのが、この「病院の治し方」というドラマなのです。

 最後に一つ余談を。このドラマのモデルとなった実在の先生は、このような態度で生き続けることで、一種の神がかりになったかのような感があります。
あるとき、とある無名の女子スケート選手が、実業団での活動を希望していました。しかし、目立った実績があるわけではない彼女は、どこの企業へ行っても門前払いで、どこも面倒を見てくれませんでした。そんな彼女が、ここで断られたらスケート選手をあきらめようと、その門前に立ったのが相澤病院でありました。ドラマのモデルとなったその先生は、彼女をじっと見つめ「よろしいでしょう」と、海のものとも山のものとも知れない、無名の女子スケート選手の援助を約束したのです。
 後の、平昌オリンピック女子500メートルで、女子では初の金メダル獲得という快挙を成し遂げた「小平奈緒」。所属チームである相澤病院との出会いの瞬間でした。

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