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2020年08月02日05:35

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8月2日

ドイツ大統領ヒンデンブルクの死去に伴い、首相ヒトラーが大統領を兼任して総統となる:1934年のこの日。1934年8月2日、ヒンデンブルク大統領が在任のまま死去した。ヒトラーは直ちに「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を発効させ国家元首である大統領の職務を首相の職務と合体させ、さらに「指導者兼首相(Führer und Reichskanzler)であるアドルフ・ヒトラー」個人に大統領の職能を移した。ただし「故大統領に敬意を表して」、大統領(Reichspräsident)という称号は使用せず、自身のことは従来通り「Führer(指導者)」と呼ぶよう国民に求めた。この措置は8月19日に民族投票を行い、89.93%という支持率を得て承認された。これ以降、日本の報道でヒトラーの地位を「総統」と呼ぶことが始まった。指導者は国家や法の上に立つ存在であり、その意思が最高法規となる存在であるとされた。権力掌握以降、ヒトラー崇拝は国民的なものとなった。1935年1月22日には公務員・一般労働者が右手を挙げて「ハイル・ヒトラー」と挨拶することや、公文書・私文書の末尾に「ハイル・ヒトラー」と記載することが義務付けられた。民衆が党や体制に対する不満を持つことがあっても、地方・中央の党幹部に批判が向けられ、ヒトラー自身が対象となることはほとんどなかった。国家元首に就任して以降国際的な行動を実行する日はしばしば土曜日を選んだ。週末は他国政府の対応が遅くなるという理由からである。1935年3月16日のドイツ再軍備宣言、1936年3月7日のラインラント進駐はどちらも土曜日である。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、ヒトラーのイラスト。
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