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2020年07月21日04:24

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7月21日

米軍が日本占領下のグアム島に上陸。8月11日に小畑英良司令官が自決し日本守備隊の組織的抵抗が終了:昭和19年のこの日。昭和19年のグアムの戦い(Battle of Guam)は、太平洋戦争(大東亜戦争)におけるマリアナーパラオ戦役の戦いの一つ。サイパンの戦いに次ぐ死傷者を出した。7月21日7時に、激しい艦砲射撃と空爆に支援された上陸部隊が海岸に向け殺到した。第3海兵師団が上陸を目指したアデラップ岬とアサン岬に挟まれた全長2kmほどのアサン海岸には、独立混成第48旅団の第一大隊が守備を担当しており、上陸部隊が海岸に接近すると山砲と速射砲で砲撃を加えた、またフォンテヒル(日本軍呼称 本田台)に配備されていた第10連隊砲兵大隊も砲撃を開始し、LVT数十両を撃破したが、艦砲射撃と空爆による激しい集中砲火を浴び、次第に砲兵陣地は沈黙していった。その後に上陸してきたアメリカ軍に対し、第48旅団の第一大隊は中村大隊長自ら手榴弾を手にして白兵戦を展開するも、圧倒的な火力のアメリカ軍相手に死傷者が続出した。また、中村大隊に配属されていた旅団の工兵隊も、隊長の三宅大尉自ら爆薬を抱いて戦車に体当たり攻撃をかけ、下士官は戦車に取り付いて、ハッチから手榴弾を投げ込もうとするなど、隊員全員が激しい肉弾攻撃を行い文字通り全滅している。アガット湾には第1臨時海兵旅団の2個海兵連隊と砲兵隊が接近してきた。この地を守るのは第38連隊第1大隊の約1,000名であったが、アサン湾での上陸作戦同様に、上陸支援の激しい艦砲射撃と空爆が加えられた。それでも第一大隊は海岸を目指してきた300隻の上陸用舟艇に山砲・速射砲で砲撃を集中し十数隻の上陸用舟艇を撃破した、沖合3,000mの至近距離に配置されていた戦艦2隻、巡洋艦3隻を主軸とする支援部隊が、砲撃した日本軍の砲兵陣地の場所を割り出し、正確な艦砲射撃を加えてきた。戦艦の巨弾に対し歩兵・野砲は無力であり、大隊の砲兵はたちまちの内に沈黙した。その後にアメリカ軍は戦車の支援の下で上陸し、大原大隊長率いる第一中隊に攻撃をしかけてきたが、大原大隊長は軍刀を片手に陣頭指揮するも戦死した。その後大隊は壊滅状態に陥り、北方を守る第2大隊に残存兵力が合流した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、アメリカ軍の上陸地点とその後の最前線の推移。
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