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2020年06月13日18:44

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交響曲第3番「英雄」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
アンドレ・クリュイタンス指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


かんち自身の解説

説明の必要ある?って思うほど有名な作品である「英雄」。題名の元となったエピソードである「ある英雄の思い出のために」というベートーヴェンの言葉通り、ナポレオン・リスペクトによって生み出されたのがこの作品だといえるでしょう。そのエピソードの真偽はさておいて、ナポレオンによってベートーヴェンの共和主義精神が刺激されて生み出されたことは史料などにより明確になっています。

ベートーヴェンが嫌ったのが王であり、神であるとよく言われるのですが、そうではないんですよね。王にも献呈した作品はありますし、キリスト教をきっかけにして生まれた作品だってあります。けれどもそこに共通しているのは、民衆への視点があるのかどうか。自分の権力を振りかざすだけなのかどうか、です。現代からすればそれのどこが反体制なのかって思いますけれどそれは近代民主制の社会においてこそ。現代でも独裁体制の社会ではベートーヴェンのような思想は危険視されるということを忘れてならないように思います。

一神教ではなく、多神教のギリシャ神話を題材にしたバレエ「プロメテウスの創造物」を最終楽章に持ってきたことは、私は当時としてはものすごい冒険だったと思います。なぜなら、ベートーヴェンの言いたいことがこの終楽章に詰まっているから、です。つい私たちは壮麗でかっこいい第1楽章に目を向けがちなのですが、ベートーヴェンが本当に言いたいことは実は最終楽章の第4楽章に詰まっているとみるのが自然です。それは古典派において第1楽章に主眼を置いたことからの脱却であるわけで、ラディカルな行為です。おそらく、当時の聴衆はそのラディカルさをわかっていたはずです。ではなぜ、それが今までもオブラートに包まれてきたのか。それは、この作品の命脈を保つため、でしょう。いつ反動勢力が息を吹き返し、抑圧するのか、当時はわからなかったから、です。それが20世紀になっても続いたため、評論家の方々は口を「わざと」閉ざしてきた、と言えるでしょう。

そんなラディカルな作品をラディカルらしく演奏するものとして、今回クリュイタンス指揮ベルリン・フィルを選択しました。カラヤンの演奏もベルリン・フィルだと有名ですが、とにかく、スーパープロオケ集団のベルリン・フィルが織り成すラディカルさを、思う存分皆さんと楽しみたいと思います!

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交響曲第3番変ホ長調『英雄』(原題:伊: Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo 英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ)作品55は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1804年に完成させた交響曲。『英雄』のほか、イタリア語の原題に由来する『エロイカ』の名で呼ばれることも多い。ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつであると同時に、器楽音楽による表現の可能性を大きく広げた画期的大作である。

フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンは「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている。

この曲は、ハイドンやモーツァルトなどの古典派の交響曲や、自身の交響曲第1番・第2番からの飛躍が著しい。曲の長大さや、葬送行進曲やスケルツォといったそれまでの交響曲の常識からすると異質にも思えるジャンルとの本格的な融合、マーラーを先取りする「自由に歌うホルン」を取り入れたオーケストレーション、さらに英雄的で雄大な曲想などの点において革新的である。

この曲の題名のように用いられているエロイカ (eroica) は、男性単数名詞を形容する eroico という形容詞が女性単数名詞である sinfonia (交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。sinfonia eroica を直訳すると「英雄的な交響曲」となる。したがって交響曲第6番「田園」の場合のように交響曲をもとにしてに田園の情景を描いたいわゆる標題交響曲とは異なり、「英雄を描写した交響曲」という意味は持っていない。

1817年(第9交響曲を作曲中のころ)、「自作でどれが1番出来がいいと思いますか」という詩人クリストフ・クフナーの質問に対し、ベートーヴェンは即座に「エロイカ」と答え、「第5交響曲(運命)かと思いました」と言う言葉に対しても「いいえ、いいえ、エロイカです!」と否定している。

作曲者の「無給の秘書」シンドラーが書いた伝記によると、当時ウィーン駐在のフランス公使だったベルナドット将軍(後のスウェーデン国王カール14世ヨハン)の勧めにより作曲を始めたものとされていたが、このエピソードはシンドラーの創作であるとする説が有力視されており、この交響曲の作曲に着手したきっかけはよくわかっていない。

なお、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いたベートーヴェンが「奴もまた俗物に過ぎなかったか。これから、人々の人権を踏みにじって自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」と激怒し、献辞が書いてある表紙を破り取ったという、弟子フェルディナント・リースの回想に基づく有名なエピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シンフォニア・エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。

ナポレオンへの献呈は取り止めになり、最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵に落ち着いた。この書き足された「ある英雄」が誰であるのかに関しては昔からいろいろ推測されてきたが、ごく最近「この「ある英雄」は、非公開の初演に立会い、1806年7月9日にイェーナの会戦で戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナント(フリードリヒ大王の甥で音楽的才能もあった)ではないか」という説も出てきている。

またそれゆえに、ベートーヴェンが皇帝に即位したナポレオンに激怒したという件についても、事実であるかどうか疑いが持たれている。ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬しており、第2楽章が英雄の死と葬送をテーマにしているため、これではナポレオンに対して失礼であるとして、あえて曲名を変更し献呈を取り止めたという説もある[2]。

かつては第1楽章の繰り返しを含めて約52分程度が標準的であったが、近年はベートーヴェンのメトロノーム指定を尊重する傾向が強まり、繰り返しを含めて42分から48分ほどの演奏も増えている。
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