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2020年05月12日19:14

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映画「ナチス大虐殺 炎628」の虐殺事件はでっち上げだった!?


しばらく、ナチスドイツ軍マニアらしい日記を書いてなかったので、今日はナチスドイツ軍マニアらしいことを書こうと思います。

「ナチス大虐殺 炎628」という、ドイツ軍親衛隊アインザッツグルペンによるベラルーシの村での虐殺事件を描いた有名な戦争映画がある。この映画を見て「ナチスドイツはなんて残酷なことをしたんだ!ホロコースト以外にもこんな残酷なことをしたのか。絶対に許せない!」などと正義感を燃やした日本人もいるだろう。ところが、映画というのは嘘の話が多いということを忘れていないだろうか?「サウンド・オブ・ミュージック」「ひまわり」などは完全に嘘の話だし、「シンドラーのリスト」も半分くらいは嘘である。シンドラーの妻は第二次世界大戦直後に遊び人で浮気が絶えないシンドラーと離婚をしており、映画が1994年に公開された時も、「私の夫は私にとってはあんな善良な人ではなかった」と言って、いかに夫がプレイボーイだったかという告白をしている。


そこで映画「炎628」に描かれた虐殺事件である、1943年3月22日にベラルーシで起こった「ハティニ虐殺事件」の日本語版と英語版ウィキペディアを調べていたら、こんな興味深い事実が書いてあった。

関連作品
戦争文学で知られる作家アレシ・アダモヴィチ(英語版)は1971年、小説『ハティニ物語』を発表した[8][注釈 3]。また、1977年にはヤンカ・ブルイリ、ウラジミル・カレスニクとの共著で『燃える村から来た私』を発表した[8]。これはベラルーシ全土の戦争被害者の証言を集めて1冊にまとめたものだった[8]。1985年には映画監督エレム・クリモフによる『ハティニ物語』を原作とした映画『炎628』が公開された[8]。2008年、歴史家イーゴリ・クズネツォフが監修した記録映画『ハティニの真実』が公開され、ソ連時代に確立されたハティニ虐殺の公的記録に疑問を呈した[5]。

仮説
ハティニ村がベラルーシにおける虐殺の代表例とされた理由について、ソ連軍がポーランド軍将校を虐殺したカティンの森事件と地名が似ているからではないかという仮説がある。この仮説では、カティン(ロシア語:カティニ)と発音が類似しているハティニを大々的に取り上げることで「カティンの森事件」の印象を操作しようとしていたのではないかと推測しているが、証拠は見つかっていない。この仮説は前述の記録映画『ハティニの真実』でも採り上げられた[5]。

「炎628」が描いた虐殺事件が起こったベラルーシの村は英語では[Khatyn]と綴る。そして、ソ連の政治将校によって約22.000人のポーランド軍将校が虐殺されたロシアの村の場所は、英語では[Katyn]と綴る。つまり、「炎628」の原作本が作られて映画化された旧ソ連時代に、「ソ連人民はこのようにナチスドイツによって痛めつけられた」ということを強調するために、ソ連が起こした戦争犯罪である「カティン事件」に名前が近い「ハティニ事件」を映画化して、人々の視線をカティン事件を始めとするソ連政府の犯罪行為からそらす意図があったようだ。このような意図があったのだとしたら、この映画はソ連政府によるプロパガンダ映画の一つということになる。


さらに興味深い事実は、「炎628」で虐殺行為を行う[Schutzmannschaft Battalion 118](警察補助隊の第118大隊と日本語では翻訳されている)は、元はソ連軍の軍人でドイツ軍の捕虜となり、ナチスに寝返ったウクライナ人、ロシア人によって主に構成されており、後に1944年8月には第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)という武装親衛隊の師団に組み込まれている。だから、確かにハティニ虐殺事件の現場にいは数人のドイツ人親衛隊将校は指揮官としていただろうけど、ほとんどはロシア人とウクライナ人の親衛隊員だったらしいことが、ソ連崩壊後の歴史家の調査で明らかになっている。

ハティニ虐殺の記念碑と博物館は今もベラルーシにあり、毎年多くの観光客が訪れているというが、果たしてその記念碑と博物館の説明はどこまでが本当なのだろうか?もちろん、ナチスドイツが東部戦線の戦場でアインザッツグルッペンを投入して、パルチザン活動を行ったり支持したりした人々を虐殺したという事実は消えないが、そのシンボルとしてハティニ村というカティンと混同しそうな村の名前を持ってきて、さらに「ソ連人はこんなに被害を受けた」というような、プロパガンダに使う必要はなかったのは間違いない。


それで、僕にはロシア人の友達とロシア人の彼女もいたことがあるが、ソ連時代をあまりよく知らない今の30代くらいの若いロシア人は、
「旧ソ連は確かに第二次世界大戦には勝ったけど、レーニンもスターリンもその後のソ連共産党の指導者たちも、アメリカ相手に無理な軍国主義と軍拡を行って、ロシア経済を無茶苦茶にしてしまった。ロシア人の若者は過去の旧ソ連の栄光にはあまり興味がなくて、ロシアがアメリカや日本のような資本主義国として豊かな国になることを、何よりも一番に望んでいる」
と言っていた。そして、旧ソ連時代に作られた戦争映画については、「あんな映画はソ連共産党が作ったプロパガンダだから興味ない」とも言っていた。


写真は「ナチス大虐殺 炎628」のスチール写真と、この映画を「実際に起こった歴史上の事実」として信じている人による解説文。





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