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2020年04月16日16:46

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2020/04/16 この数日考えている。絶対に感染してはならない‼️

フォト


凄く古い写真見ていました。


あれこれ片付けていたら出て来て、手が止まります(笑)
東京に住んでいた間に、え〜〜〜〜?って・・・
山奥と見える地域に連れて行って貰ったのは、父が自宅療養していた頃。

先輩が免許を取得して、車買ったるんるんって言うので田舎に帰りたくても帰れない父の気分転換に奥多摩へのドライブをお願いしました。
誕生日のお祝いにカメラを買って貰ったのが嬉しくて、ドライブの途中で沢山写真撮りましたから、その名残。

望遠レンズ欲しいなー♪と言いながら建物や風景撮して、父はカメラを向けると嫌そうな顔するからあまり被写体には向いていなかった。


その頃、母からは父を怒らせてはいけないexclamation ×2
塩分出来る限り抑えなくてはならないexclamation ×2
痩せさせなければならないexclamation ×2
色々指示されていました。

頭のど真ん中に拳大の動脈瘤があり、いつ破裂するやも分からないから・・・

若い私に何が出来たでしょう?
母の言い付けに背き父とケンカしては後から母に叱られたり、父の希望でバイト休んで温泉で湯治して来た伯母を仙台迄送るお供したり、減塩の料理を必死で作ったり、リハビリの為の散歩について歩いたり・・・

そんな生活の中での1コマが写真の中にありました。

検査の為の入院が予想外にも1ヶ月程になり、週に1回か2回位かな?お見舞いして病室に行くと・・・6人部屋だったと思いますが、5人は鼻からの栄養を採る容態の患者さん。父だけが話せる、食べる、歩くが出来る患者さん。

最初は父しか見てないから気が付いたのは2回目に行った時だと思います。

幼い頃に痔の手術で父が入院した病院に行った記憶では、回りの患者さんは歩いたり喋ったり食べたり・・・テレビの音も聞こえたりでしたが・・・

話し声は父と私の声だけ・・・たまにそれぞれの方の付き添い婦さんと話した声だけ・・・

寂しい病室でした。
父にはこんな姿になって欲しく無いexclamation

退院した父と母は私達姉妹の知らない間に話し合いをずっとしていたようです。

母は退職して貰いたいという説得を恐らく何回も何回も
したのだと思うけど・・・傷病手当ての終る頃に復職しました。

武蔵境から草加迄2時間・・・

1年程掛けて勤務時間を午前中だけから午後も・・・やがてもう少し自宅から近い事業所に転勤に。

そこで病人がexclamation ×2ってオバチャン事務職にイビられたexclamation ×2
それでも事務系で会社に尽くしてきた父は出勤していました。

転勤した事業所の父の部署は、ビルの中では無かった。プレハブ造りの事務所。冬は寒くて電気毛布みたいな膝掛けやら足温器やら持参してもまだ寒かったようです。

その寒い事務所で倒れて救急車で母の勤務する病院に運ばれて・・・44日後に亡くなりました。

入院当日は話せましたが、翌日面会に私が行った時既に声を失っていました。
筆談していたのは1週間あったかな?高熱が出て肺炎・・・治ったと思うとまた高熱が・・・の繰り返しの中で体が1つずつ機能しなくなりやっと誕生日を迎えて良かったねぇるんるんパチパチとまばたき・・・

高熱が出るとまばたきの返事すら出来なくて・・・

あ〜(TT)40年たっても思い出すと泣いてしまいます。


父は病気に負けたくなかった。
でもダメだった・・・

今コロナウィルスに世界中が立ち向かっています。
色々な報道から遠い昔の記憶が呼び出されました。

あの44日間を思い出しても未だに辛い。
入院されたら面会も出来ない。
最後のお別れすら出来ない。

そんな事許せないけど今はそれしか無い。

そういった報道に触れる度に、絶対に感染してはならないexclamation ×2そう思います。




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