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2020年04月30日19:45

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与謝野晶子に見る女性の主義主張の一貫性の無さ


初めに書いておきますが、この日記は決して女性を貶す内容ではありません。ただし、女性は男性に比べるとその時の時流に流されやすい風潮があるということです。これも、僕がかつてGREEのブログに書いたものです。


与謝野晶子の書いた「君死にたまうことなかれ」という有名な詩がある。これは、有名な反戦詩として義務教育では教育されるが、実はこれは反戦詩ではないことが、最近の僕の調査でわかった。

ああ、弟(をとうと)よ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君なれば 親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと教(をし)へしや、
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

これが、有名な「君死にたまうことなかれ」の詩の第一連。全部で第五連まである。旅順攻防戦に参加した弟の鳳(ほう)籌(ちゅう)三郎の戦死を嘆いてこの詩を詠んだと、学校では教えられるが、これは全くのデタラメである。

旅順攻防戦について調べていたら、重大な事実が書いてあった。以下、Wiki(ネットの辞典)より抜粋。

1904年9月、与謝野晶子が「旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて」と『君死にたまふ(う)ことなかれ』を『明星』に発表した。弟は無事帰還したのだが、実は軍が敵を欺くため、日本で最弱といわれる大阪の師団を旅順に向かわせたかのような情報を流したために晶子は弟が日露戦争最大の激戦地に投入されたと思ったのだが、実際には弟は旅順には行っていない、ということが陸軍大学校の資料によって明らかになっている。

さらに、他の日露戦争のサイトで調べると、与謝野晶子の弟は、大阪第4師団、第8歩兵連隊の一兵卒として出征するが、当時の一般市民としては珍しいほど頭が良く、早稲田大学進学を希望するほどだったので、第4軍司令部の書記をしており、ほとんど最前線に立ったことがなかったという。

それでは、なぜ、与謝野晶子はあたかも弟の戦死を嘆くような詩を詠んだのか?

晶子は、弟の所属する連隊が旅順要塞攻防戦に参加したと信じており、1904年8月末に行なわれた第1次総攻撃で、日本軍は死傷者約15,000名という凄まじい損害を出して失敗し、この発表に全国民が大いに驚く。そこで、旅順にいる弟の身を案じて、9月に「君死にたまふことなかれ」の詩を雑誌「明星」に発表したと推測される。この当時は、満州事変以降のような反戦思想の取り締まりはまだ厳しくなく、他の数人の文化人も反戦、反軍思想の作品を発表している。

取り締まるどころか、第三軍の総司令官であった乃木大将自身が、
「私が無能なので多くの陛下の赤子たる同胞の兵隊を死なせてしまい、大変申し訳なく思っています。私は英雄などでは決してありません」
などと、国内外の記者に語っていたほどだった。

さらに、その後、与謝野晶子に関する大きな疑問が浮かんだ。夫の与謝野鉄幹は右翼の壮士として知られていること。

廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣
我の友隊(ゆうたい)すでに攻む
折から凍る如月(きさらぎ)の
二十二日の午前五時

という勇壮な歌詞で知られる、『爆弾三勇士』(1932年の第一次上海事変の時に、爆死した3人の兵隊の最期の様子を讃えた軍歌)の歌詞を作詞したのは夫の鉄幹であり、右翼思想の文化人だった。「どうして、そんな夫と晶子は死ぬまで一緒だったのだろうか?なんだか、与謝野晶子に関しては謎ばかりだ」
ということである。

それでネットが普及した今では、ウィキペディアなどで与謝野晶子について調べると、すぐに「反戦文化人」ではなかったことわかる。与謝野晶子は太平洋戦争の最中の昭和17年5月に亡くなったので、大日本帝国の悲劇的な最期を見ずに亡くなってしまった。亡くなる直前に、
「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」
という戦争を美化、賛美する歌を詠んでいる。晶子を説明してあるサイトには、
「夫との間に12人も子供を産んで、主婦業の傍ら歌人として活動した当時の女性としては珍しいほど学問が出来たインテリの女性解放論者だったが、他の女性と同じように時流に流されやすくて、一貫した反戦文化人ではなかった」
ということがはっきりと書いてある。

与謝野晶子は63歳で太平洋戦争で日本軍が勝っている頃に亡くなったが、もしも彼女があと10年長生きして大日本帝国敗戦まで生きていたら、一体、どういう活動をしただろうか?絶対に大日本帝国と自分の過去の活動を後悔するような歌を、多くの雑誌に発表しただろう。


これは、恐らく今の日本女性にも当てはまる点があり、特に若い女性はサッカーのワールドカップが近づくと急に日本代表をすごい声援で応援して「勇気と感動をもらいました!」と言う。でも、サッカーワールドカップが終わって1か月後くらいにはその感動を忘れている。

夏の高校野球大会の予選の時のJKもそんな感じである。高校野球の県予選の数週間前になると、急にJKたちは母校の野球部をすごい黄色い声援で応援する。それで、県大会を勝ち上がって甲子園出場が決まったら、野球部員と同じか、それ以上に大喜びをする。甲子園の全国大会に母校が出場して、全国大会のTV中継を見てるとわかると思うが、接戦の末に負けるとほとんどのJKはアルプススタンドで号泣している。男子はけっこう冷めているからあまり泣かないけど、JKの数人は野球部員以上に泣いている。でも、高校野球での興奮も夏休みが終わる頃には忘れている。だいたい、女性はこういうメンタルの人が多い。

これは洋の東西を問わずにどこの国も同じようで、ドイツの女性、特に若い女性はサッカーワールドカップ、ユーロ(ヨーロッパ選手権)、オリンピックの時にはドイツ国旗をみんなが振って[Deutschland!Deutschland!]と叫んで、熱狂的にドイツ代表選手を応援をする。でも、こういうスポーツの大イベントが終わって1か月くらい経つと、既にドイツへの愛国心を忘れている。

この日記は決して女性を貶す意図はないけど、だいたい、与謝野晶子を始めとして女性はこういうメンタルの人が多い。


写真左は与謝野晶子と夫の鉄幹。日記で書いたように夫の鉄幹は慶応大学教授だったが、同時に右翼思想の壮士でもあった。写真真ん中は高校野球の応援でよく見られる祈るJK。野球のルールがわかっているのかどうかは知らないけど、とにかく、母校のために必死に応援する。写真右はサッカーワールドカップでドイツ代表を応援する若い女性たち。サッカーワールドカップの時だけは、左翼国家ドイツでも「愛国心」が全ての国民に復活する。(笑)
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