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2020年04月28日05:30

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4月28日

イタリアの独裁者ムッソリーニがスイスへの逃亡中にパルチザンに捕えられ即決裁判により銃殺:1945年のこの日。ベニート・アミールカレ・アンドレーア・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini、1883年7月29日〜1945年4月28日)は、イタリアの政治家、教師、軍人。イタリア社会党で活躍した後に新たな政治思想ファシズムを独自に構築し、国家ファシスト党による一党独裁制を確立した。1945年4月28日、第52ガリバルディ旅団は数十名の民兵からなる無名の小規模組織でしかなく、司令官のピエル・ルイジ・ステーレ子爵は思いがけない重大な責務を前にして何らかの上部組織に指示を仰ごうとした。やがて最初に訪れたのがCLNAIから派遣された「ヴァレリオ大佐」と名乗る男で、部下を引き連れて旅団に捕らえられた面々の身柄引き渡しを要求した。通説においてはこのヴァレリオ大佐はワルテル・アウディージョというイタリア共産党のメンバーで、別の党員ランプレーディと一緒に党書記長トリアッティの右腕であったルイージ・ロンゴ副書記長の命令を受け、ミラノからコモ湖に赴いたとされている[245][247]。ただしアウディージョが実行犯であったかについては当初から疑問が持たれている。現在では歴史学者の多くがアウディージョは単なる身代わりであると看做し、おそらくはルイージ・ロンゴ自身が「ヴァレリオ大佐」であろうと考えられているが、真犯人については他にも諸説が存在する。旅団は身柄引き渡しには応じたものの、略式処刑や民間人の殺害については戦争犯罪であるとして反対したが、アウディージョとCLNAIの兵士はムッソリーニとペタッチ以外の戦犯をドンゴで裁判もなく即時処刑した。残されたムッソリーニはペタッチと共にミラノ方面へ車両で移動させられ[244]、暫くの間ジャコモ・デ・マリアという人物の所有する民家に幽閉されている。程無くしてCLNAIはムッソリーニについても略式裁判による即時処刑を決定、ムッソリーニはミラノ近郊のメッツェグラ市の郊外にあるギウリーノ・デ・メッツェグラに設置された処刑場へ護送された。1945年4月28日の午後4時10分、「ヴァレリオ大佐」が所持していたフランス製短機関銃のMAS-38でペタッチと共に銃殺され、61年間の人生に幕を下ろした。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、ベニート・ムッソリーニ。
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