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2020年04月11日10:56

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18950310 NO3837 日清戦争戦勝慰問使派遣の件

18950310 NO3837 日清戦争戦勝慰問使派遣の件
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駐韓日本公使館記録 8巻 参.. 各領事館其他往復 一 (1) [日清戦争 戦勝慰問使 派遣 件]
文書題目 (1) [日清戦争 戦勝慰問使 派遣 件]
文書番号 親展 (各通)
発信日 明治二十八年三月十日 ( 1895年 03月 10日 )
発信者 特命全権公使 伯爵 井上馨
受信者 第二軍司令官 伯爵大山巖 第一軍司令官 子爵 野津道貫

(1) [日清戦争 戦勝慰問使 派遣 件]
親展 (各通)
今般当国大君主陛下には我が軍を慰問のため勅使として軍務大臣・趙羲淵を遣わされ、さらに別紙・金裕成以下十四名、外に通弁数名を戦地の実況視察として同行させましたが、大勢の視察員派遣となりましたのは、当地においては今日に至ってなお支那に盲従するものが多いので、支那崇拝家あるいは在留清国人などがこれに投じて「日本軍が大敗して清軍が勝ちに乗じて大挙入京するに違いない。清国軍艦十余艘が仁川に来援するだろう」などのうわごとのような浮説を唱えて愚民を恐嚇し、なかでも大院君はこれを利用して陰謀を逞しくし種々の手段を使って改革派を恐嚇致しましたので、当国人の常として疑惑の念が最も深く (政府部内に幾分か実情を承知しているものもありますが)、 上下一般疑懼(ギグ *疑って不安に思うこと)の念を抱きしだいにその向背(*従うか、背くか)を迷うような姿となり、このため折角の改革もその進行を妨げられておりますので、この際彼等に我が軍は百戦百勝の勢いに乗じて深く清領に乗み込み、清兵が惨敗して抵抗することができない実況を目撃させ、帰韓の後その説を朝野の間に広布させたならばこれらの疑惑も自然氷解して浮ついた虚伝は簡単に行われないようになり、官民一般がその志を定め、脳裏に沁みついた誤解を少々が覚破させることができるだろう、との考えから兼ねて当方より政府内に勧告のした結果、ようやく慰問使勅派という事になり、この機会に別紙記載の通り種々の性質を帯びた人物を集め同行させた次第ですが、同使一行到着の上は我が軍の営陣の実況、氷雪原野に露営のありさま、野戦病院の配置、占領地営民行政の模様などを詳示して、我が軍全勝の地位に立ちいたっている事を会得させますよう御取計らい頂きたく、また別記の内朱点を付してある人物は頑迷の最も甚しいものであるとのことですので、自然交戦が起きたようなときには戦線まで誘い入れ、硝煙弾雨の下に立たせて交戦実況を目撃させるよう致したく、これは甚だ御面倒の件ではありますができるだけ御配慮を頂きたく希望します。以上よろしくお願いします。 敬具
明治二十八年三月十日
特命全権公使 伯爵 井上馨
第二軍司令官 伯爵 大山巖 殿
第一軍司令官 子爵 野津道貫 殿



[右件 勝戦慰問使 名単]
文書題目
軍務大臣 趙羲淵    
前参.判 金裕成 非役 支那党で大院君派
前協弁 成岐運 同 支那党
前承宣 朴準陽 同 大院君派
前承宣 李載克    
宮内府参.議 李始榮 現役 金総理大臣の婿
前承宣 申炳休 非役 大院君派
前府使 李承九 同 将来武官にでもなりそうな人物
前府使 李南熙 同 同
前副護軍 朴永漢 同 同
前府使 申泰休 同 現・訓鍊隊第一大隊長で甲申の歲袁世凱とともに兵を率い王宮に迫ったもの
前校理 厳柱完 同 厳農商大臣の子
宣伝官 李鳳鎬   現宮内官吏
別軍職 尹始炳   同
訓鍊隊士官 朴齊範 現役  
訓鍊隊副尉 金有植 現役 日本語を熟す。姜氏は又清語もこなす
農商主事 姜華錫 同
此二人外又参.人







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