mixiユーザー(id:6785066)

2020年03月22日11:35

29 view

18960229 NO3781  屯浦及び安城付近の暴徒・義兵に関する報告

7巻最終記事18960229  NO3781   屯浦及び安城付近の暴徒・義兵に関する報告http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&pre_page=1&setId=-1&prevPage=0&prevLimit=&itemId=jh&types=o&synonym=off&chinessChar=on&brokerPagingInfo=&levelId=jh_007_0050_2080&position=-1
駐韓日本公使館記録 7巻      五. 機密通常和文電報往復 一·二 第4冊       (208) [屯浦及び安城付近の暴徒に関する報告]
文書題目 (208) [屯浦及び安城付近の暴徒に関する報告]  
文書番号  
発信日 二月二十九日午後十一時五分仁川発 ( 1896年 02月 29日 )  
発信者 萩原   (*仁川 萩原中尉)
受信日 (午後十一時二十六分京城着) ( 1896年 02月 29日 )  
受信者 小村 公使    

(208) [屯浦及び安城付近の暴徒に関する報告]
二月二十九日午後十一時五分仁川発(午後十一時二十六分京城着)
----------------------------------------------------------萩原
小村 公使(*宛) 

 当仁川港の稲松商店からの急訴によると、かねて同店から忠清道屯浦(トンポ)に派遣している末松民吉に引き揚げの通知をするため過日差し向けた飛脚が只今帰着したのだが、末松は「目下思いがけない危険に陥り、神星浦(シンソンポ)付近の山寺に潜んでいるのだが一歩も外出することが出来ないので急いで救助をお願いする」との書状を送ってきたので同人の身命保護を願うとのことである。
 そこでとりあえず当館(*仁川公使館)から巡査一名、朝鮮巡検二名が同道して明朝三時の潮時に船で同地に向け出張させることとしている。
 なお末松の書面によると、一週間前忠州(チュンジュ)の暴徒が安城(アンソン)に回り、その一部隊三百人ばかりは屯浦と水原(スウオン)との間にある「チイ子」と称する大道に陣取り、日本人を見るとすべてこれを銃殺するとのことで、数日前既に一人殺害されているとのこと。また目下、屯浦近傍の義兵と称する者は、前記の三百人のほかに安城に六百人ほどいる。その一部隊は陰暦十四日稷山(チクサン)へ来て付近各地の猟夫を募集中である。追々牙山(アサン)地方に広がる場合は数千人に達するだろう、とのこと。以上御報告する。      


*稷山(チクサン) 「忠清南道天安(チョナン)市の北西部にある面(めん)。人口2万3957(2000)。1914年までは稷山郡の郡庁所在地であったが、その後天安郡に併合され、面になった(天安郡は1995年、天安市に統合)。」https://kotobank.jp/word/稷山-1545979 

*位置関係のおおよそ        

             水原
                                                                                          チイ子(300人)  安城(600人)            忠州 
(牙山湾)                 稷山           
      屯浦          牙山   
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する