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2020年03月13日15:24

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(画像は無関係です)

【本日の歴史の事件簿・豆知識】

712年3月13日(和銅5年1月28日)に「古事記」が完成し、元明天皇に献上される。

古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、太朝臣安萬侶(おほ
のあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって元明天皇(げんめ
いてんのう、奈良時代初代天皇で第43代天皇・女帝)に献上された日本最古
の歴史書である。上・中・下の全3巻に分かれている。

成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇
の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされ、
『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であ
り正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付け
たのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日で
は一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。

『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、『古事記』に登場する神々が、
多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影
響を与えている。構成は、上つ巻(序・神話)、中つ巻(初代から十五代天皇
まで)、下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)の3巻より成っている。内
容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時
代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。
また数多くの歌謡を含んでいる。

上巻(かみつまき)には天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、
天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本神話」である。
天地開闢とともに様々な神が生まれたとあり、その最後にイザナギ、イザナ
ミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結
婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで山の神、海の神など
アニミズム的な様々な神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の
神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の
堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、
黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは
未完成のまま終わってしまう。などが記されている。

中巻(なかつまき)には、初代神武天皇から15代応神天皇までを記す。神武
東征に始まり、ヤマトタケルや神功皇后の話など神話的な説話が多く、神の
世と人の世の間の時代であることを示している。2代から9代までは欠史八代
と呼ばれ、系譜などの記述にとどまり、説話などは記載されていない。その
ため、この八代は後世に追加された架空の存在であると説かれているが、実
在説も存在する。なお、「神武天皇」といった各天皇の漢風諡号は、『古事記』
編纂の時点では定められていないため、国風諡号のみで記されている。なお
史実性が確認されているのは応神天皇以降である。神功皇后と卑弥呼を同一
視ないし関連づける説もあるが、一般に受け入れられるには到っていない。

下巻(しもつまき)は仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠
史八代と同じく系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ない。これは、
書かれた当時においては、時代が近く自明のことなので書かれなかったなど
と言われている。

『古事記』の研究は、近世以降とくに盛んにおこなわれてきた。江戸時代の
本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典
であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打
ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論
理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追及であった。
しかし「からごころ」排撃は、のちに国粋主義的皇国史観、神話の絶対化に
変容されたとの見方もある。

第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる
研究や注釈書が発表された。とくに倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の
初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっているが、それ
以前に出された「古事記伝」の記述からすると恣意的な注釈があるとの主張
もある。

20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフ
トしている。成立論の代表としては、津田左右吉や石母田正があり、作品論
の代表としては吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。殊に神野志の『古事
記の達成』は、それまでの研究史を革新したといってよい。

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