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2020年02月09日23:54

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かって、よみました

さて今日も本来ならAqoursのユニット、ギルティキスのライブがあったんですが、私が大バカやって観にいけないことになってしまいました。
落ち込んで、半日くらい寝込んでから、ゆっくり起き出して本を買ってきました。
写真の「リボンの武者」です。

念のため書きますが、手塚治虫の作品と間違えたら大変です。
「騎士」でなくて「武者」です。

まあ、30年いじょう前にお隠れになられた手塚治虫先生の作品と近い名前なのも、意識していると思います。
だからこそ、間違えないようにしたいですが。

こうやって念押しするのは、まあ私自身が間違えないためでもあります。
じっさい、実例がありましたし。

今回も、どこか温かい感じもする「ガールズ&パンツァー」の世界と真逆の、荒々しく攻めている内容になってました。
また作中で、戦国武将の朝倉教景(宗滴)が残したとされる言葉を使っているのも印象的でした。
主人公の鶴姫しずかが乗っている車輛、テケも赤く塗られてムカデのマークがついている、言うところの武田家の「百足衆」になぞらえているだけに、印象的でした。

朝倉宗滴が残したとされる、
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」というのは、戦国時代の武士をよく表していると言われています。
簡単に言えば「どんな汚い手を使っても良いから勝て」ということですね。

のちの江戸時代、九州の佐賀鍋島藩で作られたことで知られる「葉隠」の一節
「武士道は、死ぬことと見つけたり」とか、いちど使えた主君に命をかけて忠義を尽くすといった考え方とは、まったく逆でした。
だいたい、こういった武士道の考え方は、戦乱がおさまった元和偃武の時から広められた言葉で、はっきり言って後付けです。

じゃあ何で江戸時代になって、今も残る武士道みたいな考え方が広まったかと言えば、たぶん「戦乱の時代みたいにコロコロ主君を変えられたらたまらん」と思った誰かが、さもモッタイつけて「ひとりの主君に仕えるのは、立派なことなんだぞ」って言い出したんでしょう。

そう考えると、江戸時代の終わりの維新動乱の頃、これも現代に残るほど有名な武士のひとたち、新選組が特に武士らしく振舞っていたというのもなんか因縁めいています。
新選組の話は、たぶん長くなるので別の日にしますが、とにかく江戸時代になるまでの武士道って、むしろ「役に立たないうえ評価してくれない主君なんて、さっさと見限ってしまえ」という感じだったんですね。
そう考えると、作中のしずか姫みたいな、泥の海をのたうち回るようなゲリラ戦は、むしろ昔からの武士道みたいな戦い方なのかもしれない、とか思いました。
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