入院生活が落ち着いてくると、予想通り、老母は様々な不満を述べ始めました。
「おまへ、これを見よ」
「やぁ、おいしそうなご飯でいいですな」
「ちがふっ!ご飯とおみおつけの並びだ」
「あれ、ご飯が右でおみおつけが左だ。母様はまう仏様になったのですか」
「ばかっ!まだなっておらん。今朝もお昼もかうだった。ここの看護婦どもは母が末期の胃癌だと思ふて、まう死人扱いをしておるのだ!」
「そんなこたぁないでせう。たまたま間違ひが重なったのですよ」
「いいや!そんなこたぁある!人を馬鹿にしやがって」
翌日の夜。今夜は老母が上機嫌。
「ハッハッハッ!おまへ、これを見よ」
「あれ、今夜はちゃんとご飯が左ぢゃありませんか。やっぱり昨日はただの間違ひだったのですよ」
「ちがふのだ。お昼は看護学校の生徒が実習で来てやってくれたのだ。ちゃとご飯が左おみおつけが右だったから言ってやった。『あんたはホントに偉いねぇ。ちゃーんとご飯とおみおつけの位置がわかってるんだねぇ。ここでそれがわかっているのはあんただけだよ。あんたはきっといい看護婦さんになるよぉ。なんたって御飯とおみおつけの位置がわかってんだからぁ!』と、でっかい声で廊下まで響き渡るやうに言ってやったわ。さうしたら晩には実習生の配膳ぢゃなくなったのにちゃんと御飯が左、おみおおつけが右だ。看護婦に恥を掻かせてやったわぃ!かっかっかっ!」
「さういふことやってると、点滴の時に間違えたフリして何度も針の刺し治しをされますよ。まうおよしなさい」
案の定、点滴の針は何度も刺し治しをされたそうです。看護婦さんには丁寧に接しすぎることはありません。
点滴と服薬治療の他は、読書とテレビ以外にすることがないと、どうも病院の粗探しばかりするようです。
「あぁ、ここの御飯はまう溜息が出るばかりだ」
「溜息が出るほど旨いですか」
「ちがふっ!溜息が出るほど何の味もしないっ!おまけに安い米でしかも冷めてる。おつゆだってさうだ。出汁が全然効いてないっ!」
「調理室と病室が離れていますから冷めますな。入院だから仕方ないです。あきらめませう」
「こんな御飯は、たぶん一人当たり100円くらゐの予算でやってゐるに違ひない。みろ、このササミの煮付けを。かちかちで旨くも何ともない。おつゆも白菜の煮浸しも、うすら甘くって冷たくて食へたもんぢゃない」
「ちゃんと口から食べないと、胃の摘出施術をしなかった甲斐がなといふものです。ちゃんと食べなさい」
「おまへ、昆布の佃煮と梅干し買ってこい」
「看護婦さんに聞いてみませう」
「聞いたら駄目だと言ふに決まっている。こっそり買ってこい。そしたら食べる」
仕方がないので病院1階のローソンで買ってきました。
「はい母様買ってきました」
「ふむ、これで何とか食へるな。パクパク。あぁ、おつゆが不味い」
「食はないことには体力が落ちるばっかりです」
「さうさな。おい息子、明日ハマグリの吸い物を作って魔法瓶に入れて持ってこい」
「いやぁ、それはさすがにまずいでせう」
「カーテンを締めてしまへば何食べてゐるかわからぬ。バレやせぬからもってこい」
「まぁ、今更体のことを考へても、まうじき死ぬんだからいいでせう」
ハマグリ5個を使って、吸い物を作り、12時間は80度以上の温度を保つ雪山登山用の魔法瓶に入れて持参しました。味付けはごく少量の塩と市販の鰹出汁、後は風味付けに料理酒を少々。
「だうですか」
「うーむ。これぞ人間の食べ物だ。結婚できないだけあっておまへも中々料理ができるやうになった」
「大きなお世話です」
「残りはあしたの朝まで熱いかな」
「雪山登山用の『山専ボトル』ですから明日の朝までは十分熱いですよ」
1ヶ月経って、抗癌剤の効果を調べるために、再度内視鏡検査。
最初に点滴した「デキサート」と「オキサリプラチン」、および服用薬の「エスワンタイホウ」という薬は効果を上げませんでした。吐いただけで終わりました。
1週間退院して、再度入院。今度は「パクリタキセル」という抗癌剤を試します。
「こんどの薬はパクリタキセルといふのですよ」
「人を小馬鹿にしたやうな名前だな」
「なんだって効けばいいでせう」
「あぁ、またここの御飯かぁ。うんざりする」
「ステージ4の胃癌なんですから、口から食べられるだけで幸せです」
「おい息子、鯛の頭で出汁を取ったおつゆを食べたいなぁ。またあのボトルに入れて持ってこい」
「鯛の頭のおつゆですか。造作もありません。いいですよ」
「それから里芋を蒸して、鰹節とお醤油かけたのをパックに入れて持ってこい。里芋は泥付きに限る。泥付きを買ふのだぞ」
「泥がたくさん付いた里芋を蒸して食べるんですね」
「ばかもん!泥はきれいに洗い落として蒸すのだ」
「それなら、はじめから泥を落としてあるのを買ひますよ」
「わからん奴だな。風味が全然違ふのだ」
「さうですか。ではさうしませう」
翌日、作って持参します。
「うーむ。旨い旨い。これぞ人間の食ひ物だ。かうなるとデザートに蜜柑がほしいな。ここのデザートは缶詰の甘ったるいフルーツばかりだ。まう蜜柑を売ってゐやう」
「売ってゐますけど、蜜柑の皮を見つからないやうにしなけりゃいけませんよ」
「わかってゐる。こないだのハマグリの殻もティッシュに包んでおまへが持ち帰った。蜜柑の皮も同じやうにすればよい」
「鯛の頭の骨はだうします」
「これもティッシュに包んでおまへが持ち帰れ」
「母様、ひとつ伺いますが」
「なんだ」
「ほんたうに胃癌ですか。それにしてはだうも食欲がありますな」
「胃癌だ。おまへも写真を見たであらう」
「別人の胃の写真ぢゃないですかね」
「そんなこたぁあるまい。母は胃癌だ。大事にして孝行に励まねば、母が死んでから後悔するぞ」
「さうですかねぇ。ぢゃぁ明日は蜜柑を持ってきませう。ですが、明日は新横浜へラグビーのワールドカップを見に行きますから晩ご飯の時刻には来ませんよ」
「なんと!おまへは親の見舞いよりもラグビーを優先するかっ!この不孝者がっ!」
「だって母様、2時間半もパソコンでクリックし続けて、やっとやっと切符を買えたのですよ。4年に一度ぢゃなくって一生に一度なんですから」
「この母とて、おまへには無二の存在であらう。明日の夜には冷たくなって死んでゐるかもしれんぞ」
「いやぁ、それはないでせう。まだまだ死にさうにありません」
「なんでわかる」
「明日死ぬ人は、そんなに食ひ物ばっかり要求しません。目の前で三人看取りましたからわかります」
「けっ!変な知恵ばかりつけおって。ぢゃラグビーに行けばよい。昼に蜜柑持ってきてからだぞ」
「えぇ、さうします」
パクリタキセルという抗癌剤は、一定の効果を上げたようで、11月24日の日曜日、老母は退院しました。
老母が入院している間に愚兄が松戸市の地域包括支援センターに行って手続きしたので、訪問看護の看護婦が週に二度来てくれることになりました。1時間7800円ですが、自己負担は780円です。また介護用ベッドも1ヶ月1000円で借りられることになりました。
そして、パクリタキセルの点滴治療は週に一度、毎週金曜日です。
ケアマネージャーの女性は、
「お母様があんまりお元気そうなので、要支援になるか、要介護認定が取れたとしても、要介護1になるかどうか・・・。」
と言っていましたが、主治医が書いた診断書の「胃癌 ステージ4」が効いて、「要介護3」が取れ、介護に必要な費用は1か月に上限26万9310円(1割自己負担)が支給されます。これで特別養護老人ホームに入る資格もできましたので、夜間に騒いだり、徘徊したり、やたらに人をぶん殴ったり、といった認知症の症状が現れたときには、「特養入り」です。
私の自動車で自宅に帰る途中、早速近所のスーパーマーケットで「今夜から旨い御飯が食べられる。まずは餅米だ。お赤飯を炊かう」と買い物をしていました。祖母(平成15年死去)の介護に使った車椅子が、まだきれいな状態でありますが、今のところは不要です。
さすがに、海外旅行はもちろん、正月の初詣旅行も無理でしょう。
この秋は台風で大変でしたが、わが石川家も嵐のような2ヶ月半でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する