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2019年12月02日13:52

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興福院

11月24日
近鉄奈良駅の北の方、佐保丘陵の麓にある興福院(こんぶいん)が天皇陛下御即位記念につき20年ぶりに一般公開ということで行ってきた。普段は予約拝観で、しかも積極的に拝観受付をされているわけではないので、こういう機会は逃してはなるまい。
院と寺の違いだけれども、興福寺とはまったく関係がない。明治以降は京都の知恩院の所轄だそうだ。もともとは尼寺で今の近鉄尼ヶ辻駅の近くにあったらしい。これが尼ヶ辻の地名の由来だとか。今は佐保丘陵の住宅街の中にひっそりと佇んでいて、案内標識はあるものの、結構道はわかりにくい。
参道から大門をくぐると、なんかもう門跡寺院のような風格が。というのも、太閤秀吉の弟で早世を惜しまれた、大納言秀長の正室が継承して復興し、その後も徳川家の庇護を受けてきたお寺で、まずは重要文化財の客殿に入ると、質素なんだけど、柵で囲っとないといけないような襖絵や扉絵が普通に使われているし、織りと染めと刺繍を駆使した掛敷なんか、単なる贅沢では手に入らないようないいものをお持ちになっている。
でもまあ、境内が京都のお寺のようにきっちり行き届いていないところは、やっぱり奈良のお寺なのだ。植え込みや雑草の伸び具合なんて、ひどくならない程度に手入れしてる感じだし、石段の隙間からから植え込みの萩が伸びてきてようがそのまま。でもそれがいい。もちろん私の興味が庭ではなく仏像にあるからだというのもある。人工的に作られた庭で本当にいいなと思ったのは龍安寺の石庭ぐらいだから。
渡り廊下を伝って本堂に。御本尊の阿弥陀三尊像は奈良時代のもので重要文化財。近世に上から漆を塗り直しているため、御顔立ちは変わっているようだ。しかし、もし補修が入っていなければ間違いなく国宝になっただろうと思えるほど立派なお姿で、座高が1メートルもないなんて思えないくらいだ。近世にしっかりと庇護を受けたせいか、立派な天蓋、柱、天井の色彩なども三尊を盛り立てている。しかし、さらにその価値を高める事実を数日後知った。
それは家で撮りためていたテレビ番組をディスクに落としていたときのことなのだか、東大寺の創建当初の姿をCGで再現してみるという番組があった。現在の東大寺大仏殿の両脇侍(大仏様の両脇におられる虚空蔵菩薩と如意輪観音)は江戸時代に作られたものなので、天平の様式とまったく違っている。そこで兵火で焼けてしまう前の大仏殿が描かれている信貴山縁起をみてみると、少し開いた扉の隙間から、脇侍の左足と膝に置いた手だけが見える。左足はなんと台座からおろしていて、半跏なのだ。それで奈良時代に作られた半跏の脇侍をモデルにってことになって映し出されたのが、あっ、なんと興福院ではないか。なんとこんなところで歴史的価値をさらに上げてしまうとは。
本堂から出ると、美しく紅葉した木々の向こうに奈良の市街地が望める。本堂の前の石段から門を抜けて道が一直線に道が伸びているように見えた。麓は今では住宅街となっているが宅地開発されるまでは田園だったに違いない。今でこそ市街地のほうからはまったく望むことはできないが、一昔前なら、一直線に道が伸びて、その先の高台に興福院が見える、そんな風景だったのだろう。
そんなふうに時代の移り変わりに思いを馳せながら、美しい紅葉の下、萩の伸び出ている石段を降りていった、
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