武田砂鉄「紋切り型社会」より、引用。
「外国人の発言を邦訳した時に突如として表れる不可思議な語尾。それにまつわる違和感について、朝日新聞の連載『英語を辿って2』(2014年9月8日)に鋭い指摘があった。例に挙げられているのは『アナと雪の女王』。
記事によれば、吹き替え版では『〜ました』や『〜です』となっている語尾が、劇場で販売されているパンフレットでは『〜のよ』や『〜なの』と記載されているという。エルサは『誤解されているのよ』と言い、アナは『彼女はとても人間的なの』とパンフレット上で言い始める。鑑賞後、途端に2人が馴れ馴れしくなっている、というわけ。
なぜこのように語尾が使われるのかについて、翻訳家の戸田奈津子に尋ねるのだが、さすが映画字幕のオーソリティ、返答が痛快だ。
『書いている人はなーんにも考えてないでしょ。私だって昔そういう仕事をしたけれど、考えてなかった。そもそも英語に語尾なんてないんだから』」
砂鉄氏は続ける。「語尾がない英語の邦訳に付着してしまった語尾とは、つまるところイメージの産物だ。外国人ミュージシャンのインタビューが常時『今回のアルバムは最高さ。日本のファンも気に入ってくれると思うぜ。一緒にロックしようぜ』と無闇にトゥゲザーしたがるのは、彼の真意を丁寧に日本語に落とし込んだというよりも、こちらが彼のテンションを推し量って勝手な語尾を付着してきたからだろう」
ことほど左様に語尾は、キャラを確定す。「俺」なら「だぜ」、「わたし」なら「なの」。本人が意識して使うならまだしも、英語だと勝手にキャラが確定されてしまう。
語尾の豊かさは、中国由来。「あ(口偏に阿)」、「は(口偏に巴)」など。我が国では「哉」「也」などが有名。
同じ主語を使っても、
「てメェこら、ブチ殺すぞ」
と、
「てメェこら、ブチ殺しますわよ」
とでは、迫力が違う。後者は言った途端、三倍返しされるだろう。
アナ雪は歌う、「ありのままで」。しかしあなたのありのままは、日本人によって改変されている可能性がある。
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Let It Go
https://youtu.be/AoUxjQOQW7A
「ありのままで、空に風に乗って」。うむ、確かに蟻は体が軽い。
ほらまた改変。語尾じゃないけれど。僕はタオル。
https://youtu.be/NimcMh_6ztg
要注意だぜ、エブリボディ。
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