■競馬のマヤノトップガン死す 有馬記念などGIで4勝
(朝日新聞デジタル - 11月05日 13:13)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5852351
俺は人間には滅多に追悼文を書かない。近年で書いたのはデヴィッド・ボウイくらいだろうか。
でも馬は別。
マヤノトップガンが老衰で亡くなった。享年27。
彼は俺に競馬を教えてくれた馬。気性に難があり良馬場しか走らず、決してイケメンではないけれど。
しかも社台グループじゃなく、静内の産。
3歳になってからデビュー。脚元が弱いからダートで。
ようやく目処がついたのは、この900万下。
やまゆりステークス(中京芝1,800m)
https://youtu.be/y44RPw8t3Gc
夏にようやく。なので皐月賞やダービーには間に合わず。
秋になり、神戸新聞杯・京都新聞杯の両トライアルを2着とまとめ、三冠ラストの本番・菊花賞に。
95年菊花賞(京都芝3,000m・G1)
https://youtu.be/v4FJybZS5UE
「メンバーが弱いから勝てた」とされた彼。坂口正大(まさひろ)調教師は「おお、それなら強いところで勝ってやろうじゃん」と、ブライアンにヒシアマゾン、サクラチトセオーら古馬のトップとぶつかる、年末の有馬記念に。
95年有馬記念(中山芝2,500m・G1)
https://youtu.be/v4FJybZS5UE
最強牝馬ヒシアマゾン、天皇賞馬チトセオーはいずれも追い込み馬。ブライアンが万全でないと見れば、これは逃げるのが良策と判じた陣営の勝利。田原成貴(たばら・せいき)騎手はスローペースに落とし、見事後続を封じた。
年が明け、春の阪神大賞典は天皇賞(春)のステップレース。トップガンのレースでは、もしかしたらこれが一番有名かもしれない。
ブライアン対トップガン、年度代表馬同士の死闘。阪神芝3,000m
・G2)
https://youtu.be/CDM5pJrijsY
こういうレース、今ないんだよなぁ。ちなみに阪神競馬場に向かう地下道、G1ばかりの写真の中で唯一、このG2が掲げられています。
本番天皇賞はサクラローレルに完敗。震災復興記念競争の宝塚記念G1はサクッと勝つ(2着に来たのは、あのステイゴールド。彼の実質デビュー作じゃないかな)も、秋のオールカマーではローレルもとより、格下の牝馬にも負けた。不良馬場だったからね。
しかして秋の天皇賞、田原が「本来の彼じゃない」と吹くから私、トップガンを頭にできず。やむなく3歳のバブルガムフェローの単で。
96年天皇賞(秋) ー 東京芝2,000m・G1
https://youtu.be/yZZs9w43VPo
何だ2着に来たじゃん。ったく、田原の奴。
横山ノリ騎手の騎乗ミスから捲土重来、ローレルは有馬記念を完勝。トップガン氏はボロ負け。
何となれば、敵はただ1人。関東のサクラローレル。
しかして、また年が明けた。1997年に。
再び阪神大賞典。逃げ・先行の彼が・・・これ、現場で見てました。阪神競馬場の群衆「おいこら、何てことするんだ田原!」。あのざわめきが昨日のことのよう。
97年阪神大賞典
https://youtu.be/fmTjg005v-s
何と驚いたことに後ろから。「真の名馬に脚質なし」とは言うけれど。
※同レースを含め、この日6万くらい儲かったからいいやん。
では本番。
坂口師「東京から戻る車中で新聞を読んだら、『ローレルローレル、マーベラスサンデー』。何くそ!と思った」。田原騎手は記者会見で「アル・パチーノがマイケル・コルレオーネであるように、私がトップガンであるように」。
陽光きらめく春の京都、3強対決。だが、敵はローレルただ1人。
1997年春の天皇賞(京都芝3,200m・G1) 「外から何か1頭突っ込んで来ている!」
https://youtu.be/rfrhDSwiCTs
「ほかのレースは全部負けてもいいから、これだけはどうしても、どうしても勝ちたかった」(田原騎手)。
生涯最高の仕上げで臨んだ天皇賞。俺にとっても生涯最高のレース。
爾後、秋のジャパンカップへ向かう調教中、屈腱炎を発症して引退。ふるさとで種馬しつつ余生を送っていた。
ちなみに冠名「マヤノ」は、三宮駅から北に聳える摩耶山から。すなわち彼は神戸の馬。
陣営ともども反骨に明け暮れた競争生活。そんな君が、俺は大好きでした。
ありがとう。安らかに眠ってください。
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