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2018年12月03日00:01

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天国も地獄も全て体験コーナー

天国、極楽浄土など、良い行いをすれば行けますよってのが宗教かな。

今の世界では体験出来ないテーマパークを作れるのが宗祖の人達なのかな。

そしてそれは、今の世界の先に枝葉を伸ばす作業。

原子しかり、植物しかり、それらの成り立ちから新しい世界を推測すると、

そこはものすごく活発な世界。

今の世界から見ると、欲望の世界。

地獄のように見えるかもしれない。

それは、枝葉を伸ばすには欲望が必要だから。

そして、欲望の世界に行かなかった人、つまりこの世界に残った人は、

ある意味天国の住人となる。

しかしそれには、自分達がエネルギーを浪費する事無く、

先ほどの、枝葉の世界にエネルギーを送る必要がある。

自分達の欲望でエネルギーを消費する事無く、他に回す。

それが出来る世界であれば、その先の枝葉の世界が成長する。

出来なければ、つまり、自分達の欲望にエネルギーを浪費すれば、

その先の世界を維持する事は出来ず、それらの世界の住人は、

この世界に戻って来る事となる。

まあ、どちらも欲望に身を任せる住人だから区別の必要はない。


そこに良い悪いはない。

ただ、そういう仕組みがあるだけ。


天国だろうと地獄だろうと、そこで自分が求める物は、

自分の満足。

だから、満足を求める限り、その旅は続く。

どのような天国でも、そこに不足を感じるようになれば、

そこは地獄となる。


満たされたい、その本質を考えない限りは、どの世界でも

満たされる事はない。


なぜ宇宙を始めたのか、なぜ体験を始めたのか、

その答えに辿り着く時に、体験そのものが必要なくなる。

つまり、天国も地獄も必要なくなる。


もっと言えば、天国や地獄、この世界のあらゆる体験は、

その体験そのものを楽しむテーマパーク。

誰かやどこかに答えを求めても見つかる事はない。

真摯に自分と向き合う事。

この世界を始めた存在、その大きなフラクタルの一部分が私達。

全て同じ仕組み。

目的は、体験し尽くす事。


自らを鏡と化し、合わせ鏡で世界を織り成す。

そこに映し出される世界に終わりはない。

鏡が離れれば、神と自分の距離を感じ、不安になる。

鏡が近付けば、求める未来は素早く訪れる。

仕組みが分かれば、神を探す事も求める事もない。

全ては、自分という鏡に、自分の姿を映しだした世界だから。

どこかに神はなく、どれかが神ではなく、

この世界全てを映している鏡こそが神である。

その鏡に映っている全てが神である。

この2つの鏡が合わさった時に体験が終わる。

始まりは一瞬であり、終わるのも一瞬である。


全ての終わりを心配する事も悲しむ事もない。

満たされたから終わるのだから。

探す事を止め、自分と向き合う結果として、

合わせ鏡が閉じる。

文字通り、2つに分かれた自分同士がきっちり向き合い

1つとなり、体験は終わる。

そこには神もなく、悪魔もなく、光もなく、闇もなく、善もなく、悪もない。


体験に善悪はない。

体験したいか、そうでないか。


私は、もう体験はいいかな〜と思っている。

また、全ての世界はその役割を終える事も分かっているから、

全てが体験を終わらせる選択をする事も分かっているから、

私は一足先に終わっておこうかなと。

そしてまた、次の始まりを待とうかなと。


欲望というのは、自分を満たそうとするエネルギー。

それを外に向けている。

本当は、自分と100%向き合えば、それで満たされる。

そこに辿り着く為に、様々な世界を創造し、体験を重ね続ける。

答えは外にはなく、未来も外にはない。


天国や極楽浄土へ行く方法を説く宗教はあっても、体験を止める事を説く人は

見た事も聞いた事もないし、本で読んだ事もないですね。

それくらい特殊なんですけど、とても単純です。

自分自身を愛して下さい。

それだけです。

そこに始まりがあり、終わりがあり、求め続けている答えがあります。

まあ、そこに辿り着くまで、いろんな体験を楽しみましょう。

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