◆ こんな、日記のような資料があったのですね。
〜〜< 以下 引用 >〜〜
■ 退場させられた松岡洋右 天皇の我慢にも限界があった ⇒
http://bit.ly/35wXW9w ■
凄惨な独ソ戦が勃発する1カ月半ほど前、昭和16年5月6日、宮中に慶事があった。
《この日、成子内親王と盛厚王の結婚内約が公表される。午後、(昭和天皇は)皇后と共に奥内謁見所において稔彦(なるひこ)王妃聡子内親王と御対面になり、御礼の言上を受けられる》
(昭和天皇実録28巻77頁)
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◆ 昭和天皇が靖国神社に参拝されなくなった理由がわかったような気がしました。
松岡洋右氏にも、それなりの信念のようなものがあって天皇に逆らうようなこともしたのでしょう。でも、これでは、松岡氏が昭和天皇に嫌われるのも無理もない。
昭和天皇は、松岡氏を心底から嫌っていたらしい。でも、松岡氏がお国にマイナスと思ったのなら、すぐにでも“蟄居閉門”的な処分にでもすれば良かったと思います。
ところが、松岡氏は昭和天皇より歳もかなり上で、政権内でそれなりの力もあったということか。彼を排斥できなかったのが、戦前の天皇政治の弱点だったかもしれません。
私は、明治天皇がお国のために戦死した人を祀るのに建立した靖国神社に、伝統と建前を大切にされる昭和天皇がなぜ参拝されなくなったのか、もうひとつ理解できませんでした。[ #伝統と建前]
これで、何となくその背景のようなものが理解できた気がします。
◆ 日本人は、伝統と建前を大切にすることで、安心します。
“建前”というのは、日本人にとっては“極めて大切な儀式”なのですね。
考えれば、家を建てる時さえ、わけのわからない“建前”の儀式をする人が多い。田舎では、みんなを安心させるためにする。私も、何度か呼ばれたことがあります。
ちなみに、私も、うさん臭い印象の靖国神社には参拝したくない。そういうことで感動したければ、鹿児島の知覧にある“知覧特攻平和会館”に行く方か何倍も感動できます。
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