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2019年07月23日00:10

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植松

■被告「返事がない人を刺した」 相模原殺傷、記者と面会
(朝日新聞デジタル - 07月22日 17:13)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5716849

 「返事をしない寝ているだけの人を刺した。」

 犯人の植松はそう話しているらしい。

 植松にとっては寝ているだけの人かもしれないけれどもその人は生きていた。そして当然父と母がいる。父はその寝ているだけの人を射精するまでに父その人の人生を経過してきた。母はその寝ているだけの人を身ごもるまでに母そのものの人生を経過して来ている。そして子供が生まれてからの人生を家族として共に生きてきた。寝ているだけのその人は植松に刺殺されるまでの間生きて来て父と母と自分に関わってくれる人々とその人なりに関わって過ごしてきた。ただ寝ていると思うのは植松の勘違いだ。自分の子供がただ寝ている。ただ寝ているだけの子供。そこにも人生がある。話が出来て、歩けて、意思の疎通が出来て、例えば野球がうまくて、歌がうまくて、会計に詳しくて、人の悩みを聞くことが出来て、世の中には、ただ寝ているだけの人もいる。そこにはそういう人生がある。色々と出来ない人生がある。ぼーっとしているだけに見える人が寝っ放しで寝たきりで生きている。哀しみや苦悩がどちらかと言えば多くあるのかもしれないけれどもそういう人生がある。我々からしたら解り難くても希望に満ちている可能性もある。そういう人たちもいると思う。植松が色々と出来るというのなら寝ている人の分まで頑張ればいいのだ。


 植松はそういう人たちとは別の世界で頑張ればよかったのだ。わざわざそこに居て自分自身がそういう人を目の当たりにしてそこで活きる術を見出せなかったからと言って彼らを殺して破壊することは無かった。いられなかったのならそこから離れて別の世界を見つけ出せばよかった。そして植松から見て寝ているだけに見える人の分まで植松として思いっきり生きればよかった。

 ただ、寝ているだけの人でもきっと一生懸命生きている人もいる。寝ているだけに見えても、「憐れんでくれるな。大きなお世話だ。」と気合を入れて人生を送っている人も間違いなくいるだろう。そしてもちろん人間だから怠けている人もいる。もしかしたら寝ているふりをしている人もいるのかもしれない。植松が考えているほど世界は狭くない。多様で広くて生きているものは生きているのだ。


 自分が活きる姿を見つけられなかったのが植松。それが植松の最初の罪だと思う。金の計算をして負担だと判断する植松の思考は単純すぎる。命や幸せや善悪の判断なんてまだ人類は明確な答えまで行き着いてはいない。迷ったり探したりしている最中だ。わかった気になって生きているみんなを殺したことは間違っている。際物みたいな顔をして世界を語り事件を起こした軽率さを恥じるべきだ。罪があることは当然。


 人間は生きている間は生きて何かをするべき。自殺も殺人も無くていいのだ。みんながみんな生きて何かをするだけでいい。
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