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2019年07月21日23:06

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今日は、 下賤芸能教団の中身をかなり改善できました。

【お知らせ】 教主メッセの方の 改造にはまだ手を付けることはできていないのですが、 一応目につく形の、大改造は 数時間で進めることが出来ました。

昼間 ほかに 疲れる用事があったにしては、かなり進んだと思います。

この改造の 目的とコンセプトは、  だれもが、芸能によって癒されて、人生をやり直すことが出来るコミュにする点にあり、  宗教としての理論的立場とかは、他のコミュに移すというものです。

この他のコミュというのが いまのところ「解りやすい宗教批判」というコミュと「死後の世界は無くても!」というコミュで、   ほかに、「自己の宗教観を語ろう」というコミュとか「無意識は、本来存在しない」コミュとか「宗教間対話の可能性」とか「あなたのキリスト教観を語ろう」とかとか、、宗教関連だけでも いろいろ考えてはいるのですが、そこまでは、まだ進んでいません。

ともかく、難しい論理的なものは、 全部他のコミュに移して、 メッセなどは 楽しい動画を駆使した解りやすい芸能の深みの話だけにしたいのです。

もちろんトピ自体は、無数に増やしすという目標もあるのですが、 ともかく その方向で、 巻頭言からかなり変えることになったのです。

その巻頭言の あとに、 まずは、トピを探しやすいように、 URL付きで アイウエオ順に、一目でみれるようにまで、進めておきました。

そのために、 けっこうランダムにだぅたのですが、急いで トピを いきなり増やしたりもしました。

慣れてきたので、 中身の整理もしながらです。

あと、アイウエオ順の他、 影とりわけの トピURLの項目も作っておこうと思っていたのですが、さすがそこまでは進みませんでした。

一応覗いてみておいてください。

下賤芸能教団のURL:https://mixi.jp/view_community.pl?id=6346106&from=home_joined_community

どのように、改造しようとしているのかの おおよそのところが解るかと思います。

一番肝心のメッセには手が付いていないですが、 こんな具合にして、なんとか 下賤芸能教団には、 ほんとうに、あらゆる人を迎えられるようにしておきたいのです。

お知らせは以上です。


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「性について」(その2)

すみません、 なぜか喘息気味の咳が出ています。  いいわけですが、今日は、簡単に済ませます。

喘息は こどもの時以来ですから、半世紀以上時が経ています。

根を詰めすぎたのでしょうか?

存在の観点から言えば、すべて私には解らないのですが、 人が生きているという哲学からすれば、 まだ 今はもう少し生き延びる責任を背負っているような気がします。

昨日書きましたように、 人類史の中い長い歴史の中においても、 なぜか性の心の面の教育が本のかけらも行われてこなかったことを考えてみても、

そのためにも、半世紀ほどもの追及をしてきて、やっとなんとか その全体像をつかんだにすぎない 鈍感者ではありつつ、やはり、 私には、今は物を書いてゆく使命、社会をそれによって変えてゆく使命があると思えてならないのです。

性は、本来美しいものです。

しかし、それは 素朴な目で見なければ、そのようには見えてこない、という現代人にとってはかなり複雑なものともなってしまっています。

性器にしても 同じく 美しいものです。 それどころか、そのことに気が付いてみればなのですが、 あらゆる美観の根源を教えてくれる軸のようなものがあります。

中学生の頃は、 ただグロテスクにしか見えなかった大人の性器は、 深く感じる機会を経て、まるで別の輝きをもったものへと見え方が変化しました。

詳しくは、追って 順々に書いていきましょう。

欲望でさへ、それが利己的な一方的なものでないのであれば、それ自体までもが美しく見えてくることも書いておきましょう。

しかし、 仏教にしても、キリスト教にしても、ブッダやキリストがそれを語ったというわけでもないのに、 いつしか 性はいやらしいもの、けだものの行為として忌み嫌わエるようになってしまったのです。

けがらわしく、不浄な世界として見られるようになり、 グロテスクを超えて性器は見てはならないものとすら思われるようにまでなってしまいました。

性の一夫一婦制などの秩序を、上からの道徳として守るためには、 集落が大きくなって権力も生まれ、王様とかがでてくることで、社会全体に宗教的権威が必要となった頃と、 宗教思想の起こりが重なったために、 よけいなまでに、そのへんが強調されるようになってしまったのだと覆います。

ですが、 例えばキリストだって、ほんとうは、人間の体は 何よりも美しく作られていると語っているのです( 野のユリは、どんな栄華をきわめたソロモンの宮殿などよりもはるかに美しい、まして人間を神はさらに美しく作られた、といったふうにです)

今日は、以上とさせていただきますが、

明日は、そのキリストが言われた 山上の垂訓での 姦淫の罪(夫婦以外の異性との性)についての考えのお話をします。

後のキリスト教は、この部分を、真逆に解釈してしまってきたのです。

もちろん、キリストがほんとうは姦通を勧めたとか言うのでは、無いですよ^^。

でも、 このへんは、ほんとうにおかしなことになってるんです。

ちゃんと普通に読めばいいところを、 ・・・・

むむ m ,、 時間となってしまいました"(-""-)"。 とさせてください。


明日に続く

(つづく)


おやすみなさい(^_-)-☆♪

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