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2019年07月14日23:50

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演劇再革命について

今日は、少し難しいことを こちらには書いておきます^^。

でも、難しい内容なので 一度で書けるような内容ではないです。

なので、その″ほんのさわり″となってしまいますが  時間の無い中(土、日、月の連休すべて 仕事が入ってしまいましたので)、 できるだけ 一生懸命書いてみようと思います。

↓↓↓

近代演劇は 近代演劇の父と言われているスタにラフスキーという人の作ったスタニラフスキーシステムによって始まったと言ってもいいでしょう。

そのスラにラフスキーシステムの 本質には、 大きくは二つの重要な要素があります。

詳しくは 感情曲線という感情と時間の流れとの関わりを把握しておく心的テクニックなどがあり 人生勉強としてもそれだけでも面白かったりするのですが、

本質的には、まず 1、「仮定(もし)」の論理と  2「表象」の論理 

の二つが その基本であり基軸となるものとなっています。

重要性から言えば 1の「仮定(もし)」の論理が一番重要とも言えます。

こんな論理です。

俳優が 紋切型の不自然な演技に陥らないためにも  その役を自分自身が 舞台上で生きるのだという、自分自身が 舞台に 「その役」を「生き示す」という考え方なのですが、

そこに登場するのが  

、その役の状況と その状況に至る過程を 「「もし」」

「私」自身が生きて、体験していたら、  ・・・の、


「「もし」」(つまり仮定する作用)であるというわけなのです。

そのような リアルな体験を「もし(仮定)」の論理で、 できうるかぎりリアルに想像し それを 自分事として舞台上で 自分自身がその役の状況を生きているかのように演じることで  俳優は すべての紋切り型の芝居を抜け出し、 生き生きとした演技ができるようになるという 論理こそが 近代演劇の基礎となっていったわけなのです。

(しかし、ここには 大きな落とし穴が、あります。 同じ状況であっても 個々人感じ方が違うし、その裏にこそ 実はこの人生で一番大切な「幸せ感」や「大自然とのかかわり」といった 心の在り方によって その仮定の想像力自体が違ってくるということが 抜け落ちているからなんです。 でも今日はそのへんは 抜きにして話を進めていきます)

大学時代、私はあるアマチュアの演劇サークルにも入っていました。

市の演劇大会で、賞をもらうほど、 優秀な役者の人もけっこう大勢いたサークルでした。

ですが、その頃、私は、上記、スタにラフスキーの演劇論を学んでいたにもかかわらず、 人間がぶきっちょだたったためもあり、 どうしても、セリフがうまく言えずに、 その演劇サークルに所属していた間は、何の役ももらえず、    効果(音響)担当に回されていたのです。

その後、 農学校に入ったのですが、 そこでふと気が付いたのが、 スタにラフスキーシステムのもう一つの重要な論理 2の「表象」の論理です。

それは、あまりにも 簡単な論理だったのですが、

当時の私は、 「仮定(もし)」の論理が素晴らしすぎる論理に思えていたためもあり、 「表象」の意味合いが解らなかったことを、 さらに論理的な世界だから、自分には解らないのだと 思い込んでいた節があるんです。

でも 「表象」というのは、 その真逆で  アホにもなわかってくるよううな直観的な、そして実はまさに言葉通りの「表面的な印象」のことでもあったのです。

ここでは、詳しいその「表象」論は略しますが、 ともかく そんなふうに、むしろ馬鹿になって その役の印象、  おしゃべり好きな農村のおばさんの役ならば、そんなふうな女性のそれらしい写真を探して、その印象の中に入り込むような感じで、セリフを口に出してみればいいだけなのです。

これだけで  実は  頭では仮定の想像力を使っていても 出来なかった リアルな演技が どんな役でも 出来るようになってしまった体験を私は持っています。

当時は、まだ なぜ、不器用な私でもそんなことが出来るのかの詳しいことは解りませんでしたが、 ともかく、 アマチュア演劇サークルのプロ並みの人たちと同じようなリアルな演技がいきなりできるようになってしまったわけです。

演劇界では ほんとうに「あほにもなれなきゃ、演劇の天才にもなれない」と言われたりしますが、 ただのアホでは セリフを覚えることも出来ないですよね。

肝心の舞台で、自分自身を生き示す想像力を手に入れるなんてことも、もちろんできないですよね。

なので「表象」という事を、演劇技術を手に入れるという事は 上記のような感じもものという説明が一番ぴったりなんです。

でも、 このことからも私は、 演劇という芸術にしても  そのように実際に生きている人、生きてきた人、他の人を 想像して へたでもいいから、 その中にこんでみること 自分のことのように共感してみる事、

他の人を他の人として 自分の事のように考えてあげられるようになることこそが 演劇の道の むしろ究極なのだと いうふうに思えるんです。

その上で リアルな演技ができるようになれば もちろんそれに越したことは無くても、 ここでも 演劇を出来るだけ多くの人に、まずは楽しんでもらうこと、 それを 下賤芸能教団では、 大きな目標としていたりします。

そのためにも、 下賤芸能教団コミュ自体では、  そのへんの深い論理をおいかけてゆくより、 まずはカラオケから 歌と踊りを楽しんでもらうことから 誰もが出発できる実践広場を作っていきたいのです。

実際には 奥が深い論理に基づいたアマチュア演劇運動論でもあるので、 その深さの方は  ミクシィのコミュの演劇関連の場でもしそれが可能なら徐々に 詳しいことも書いてゆく予定ですし   新たにこれも 新しいコミュを立ててゆくこととなるかもしれません。

また、ここからも、 下賤芸能教団が ほんとうには すぐれた本物の芸能の集団をめざしていることも理解していただけると幸いです。

今日も すでに12時近くなってしまいました^^。

ここまでとさせていただきますが、

このような努力から生まれようとしている 下賤芸能教団です。

どうか 応援していただけると ありがたいところです。


応援のほど、どうかよろしくお願いいたします。


今日は以上です。

おやすみなさい(^_-)-☆♪


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