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2019年07月04日21:51

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下賤芸能教団の 新神話の続きです^^。

▼▼▼

 【教主メッセ】2、ならば私たちは新神話を作ろう(その2)

神話と言えば、「アダムとイブの物語」を知らない人は少ないだろう。

イスラム教も キリスト教も この神話から出発している。

ただ イスラム教の解釈が、かなり質のいい性善説であるのに対して、キリスト教の伝統的解釈としては真逆に それが原罪の物語となっているところ、そこに 大きな問題(間違え)が 起こってしまったと 私は考えている。

あの厳しい砂漠の地に、 みにくい権力争い等が繰り返された歴史をみてきて、神の裁きの思想がそこに生まれ、 罪の概念が形成されていったとしても不思議なことでは無いのだけれど、

そのおかげで、 神の概念には 巨大な矛盾が生まれてしまったからだ。

今、そのことに触れている時間はないのですが、

ここは本当に重要な点なので いつか詳しく話す予定となっている。

性善説と性悪説についても 中国でのそのそれぞれの思想が発生した時点では、 それぞれが重みのある考えから生まれていて、興味深い。

そのこともいつか書いてみよう。

今は、 このアダムとイブの物語が ほんとうは何を語りたかったのかということについての、 私自身の考えを簡単に書いておく。


アダムとイブが 食べた知恵の木の実というのは、 論理脳が発達して論理だけで物事を考えるようになった人類の姿を予見するものと考えるのが 一番納得がいく解釈の仕方だと思う。


論理脳も 当然人間の社会や学問などが進化する大きな力となったわけですが、 その基盤を忘れて 論理脳だけが進化したら、 もともとの楽園としての素朴な人間性は失われてしまう。

昨日(その1)で書いたように、 ものごとを見つめる脳を獲得したことで本能から解放された人間という生物の神経に最初に宿ったのは、 大自然の美しさに気が付く 大自然に心癒される 感性の世界だったはずなのだ。

性の世界にしても、 もし そんな素朴で新鮮な気持ちで 深く感じる性であるなら そこには少しもいやらしいものもなく、ただ美しいだけで 悪い意味での恥じらいなんていうものはそこには全くなかったはずだ。

アダムとイブの物語は、 その知恵の木の実を食べたことで、 いきなり裸であることが恥ずかしくなり、 大きなイチジクの葉で性器を隠したという物語となっているわけです。

しかし、今となっては、 性の世界を もう一度純朴な地点に戻すには 一筋縄の方法では通じなくなってしまっている。

いつか この性の真実の世界についても 詳しく話す時が来ると思う。

ともかく アダムとイブの物語にしても、 仏教の帰結とか言われている法華経の中の、久遠元初の仏と同じ意味合いで、  もともとの人間の一番大切な心の世界の故郷の地点を物語っているのだ。

そのはずなのだ。

さて、ここで話を、日本の縄文時代に戻そう。

人類は、もしかしたら 約80万年前に、アフリカのタンガニーカ湖畔の チンパンジーの なんらかの突然変異のような脳の飛躍的発展によって生まれたようなのだ。 それが現在一番の有力説のようだからだ。

そうでなくとも  たぶん、 そんな出発の仕方で人類は旅を始めたのだと思う。

しかし、(その1)で昨日も書きましたように その生活環境は想像を絶するきびしさもあり、  集落と集落の間には、奪い合いや殺戮が繰り返されもして  争いも絶えない旅路だったと思うのだ。

もちろん、 その中でも アダムとイブに象徴されるような平和で心豊かな文化を宿した地域や、時代もたくさんあったでしょうが、

考古学的には、争いの跡の見られない地域や時代は見つからないらしい。

日本だって 四季が豊かで 自然に恵まれていたとはいえ、今から考えれば 厳しい生存競争にもさらされていたはずの時代が 縄文時代だと思える。

南の島の 木の実と魚の豊富な のんびりしていても 生涯健康に生きられるような村々とは全く違った厳しさもあったはずだ。

それなのに、 日本にやぅてきた人類は、 その地にてなんと1万年もの間 争いの跡が無く、 まったくの平和な楽園が そこに存在していたのだ。

集落が小さかったから争いが起こらなかったというけれど、  すでに沖縄から北海道までの交易がおこなわれているほどの、しっかりした共同体が 各地にそんざいしていたことが推理されている。

なぜ、その時代に 日本には 奪い合いも 水争いも 生まれなかったのだろう。

美しい四季の中で、 その人たちは、人類の心の故郷を思い出したのだと思う。

本来の人間の原点としての 感性の自然な新鮮な素朴な心を思い出したのだと思う。

海の音、雨の音、風の音、木々を吹き抜ける風、森を谷を抜ける風、雲の流れ、 川の流れ、 大平野、 たおやかな山々、 海に昇る朝日、山に沈む夕日、 青空がやがて、

やがて、雲を赤く染めて 荘厳な空を染め行く中 

ふと見上げると 雲の間に、一番星が光り、 大地のぬくもりを深く深く感じつつ 夕餉(夕食)の支度を始める。

そんな素朴な、生活の香り 人間の原点の香りを 心深く思い出したのだと思うのだ。

昔テレビで、 南国の島の人たちの、死にゆく人を看取り見送る姿を見たことがある。

村中の 子供たちから老人まで、全員が集まって 家族を取り囲み、いざ その老人が旅立った時には、 全員がすすり泣いていた。

豊かな素朴な村には、 姥捨て山は存在しない。

日本では、残念ながら 史実の中では、つまり歴史としての言葉の資料を持つようになった あるいは論理脳の 策略の歴史が始まってからは、同じ美しい大自然の中に生きながら、 姥捨て山の やむなき残酷物語の風習がかなりあったとされている。

でも、 わたしもそうなのだが、 この下賤芸能教の管長のシディアス卿さん(神道の神職)の考えも  この日本の縄文時代には そんな風習はなかったはずだと考えている。

私自身 母を介護している時には、母が少しでも苦しんでいる時には一緒に地獄に落ちてもいいぐらいの気持ちになった。

日本人には、もともとは、そのようないたわりの気持ちが 自然にあったのだと心から思う。

さあ、 わたしたちの とある雄大な新しい神話はここから始まる。

約、4000年近く前、 メソポタミアの地には、 数千年も ウバイド民族という 砂金の技術と 争いを調停する術にたけた民族がすんでいたらしい。

かの乾いた砂漠の地に、心豊かで、「和」を重んじる、そのリーダーとしての おだやかさをたずさえた民族がいたらしいのだ。

そのウバイド民族が、ある時突然のように その地に築いた文明を捨てて シュメール人に明け渡し(そこからメソポタミア文明が生まれた)、 世界中に旅立っていったのだが、

何と彼らは、日本のことをよく知っていたとしか思えない形で、日本には一直線に向かっていってもいるらしいのだ。

正式にそのウバイド人たちが日本に入ったのは、古事記で言う欠史八代の後の時代。 和歌山の熊野のあたりに 皇室の中に入り込む形でやってきてもいる。

ここに、 新しい神話を生み出していきたいのだ。

縄文時代にも 私たちの祖先は 造船技術と船での交易の実力を持っていた。

もともと 多分ですが^^、 アンデスからの船旅で日本にやって来た太陽信仰民族が縄文人だ。(だとしているだけですが^^)

ともかく、そうした船での交易の実力と 航海技術を考えれば、約6000年以前から、大陸にも渡っていった日本人の祖先がいたと考えてもおかしくない。

穏やかで素朴で 平和を愛し、その情熱に燃え、 太陽のように明るい心の縄文人が、やがて、旅の果てに、  メソポタミア前夜のかの地にまでやって来たのだ。

その地のウバイド民族とは、相性がよく、彼らは、その民族と同化した。

と考えてみてください(^^)/。

す、すべてが つじつまがあってくると思いませんか。

世界の争いの悲惨さを旅の途上で見てきた、争いを知らない純朴な民、もともとの人間性にあふれた民、日本の縄文人たち、その旅の歴史は 考古学でも見つかっていない。いや、 そんな旅の世界までは考古学は発見しえないだろう。

が、それは事実の世界であった(と思う^^)。


とうとう 彼らの情熱が爆発する日が来た。

私達には世界を(人類史を)平和にする「和」の使命があるんだ!


知恵者が そのことに気が付く時が来たのだ。

アンデスの太陽信仰の 求めていた世界、 知恵者がそこから何かを求めて、何かを伝えんと西に向かって船で旅立った魂、その求めていた希望の世界が、その地ウバイドの地の知恵者によみがえったのだ。

日本に、もどろう!

あの 私たちの心の故郷の地、美しい四季のある大地にもどろう。
そして そこから 私たちは、この地球という大地に 平和を築くのだ。


彼らの砂金の技術は、それ以来 エジプトナイルのほとりには エジプト文明を、揚子江の三角州からは中国文明の夜明けをうみだしていったのだ。

だが、・
真の目的である 「和」の心の伝播は、 日本の中に、深く深く秘められてその知恵が伝えられてきた。

今 落合莞爾という皇室の学者が その辺の歴史を明らかにし始めていると聞く。(こちらのほうは史実の洞察の世界だが)

ここに書いた古代の、新たな神話は、そこに引き継がれるものだろう。

神話自体は、その史実とは異なっていい。 史実でなくてもいい。

人類史の本質をとらえることが出来るなら 虚構であっていい。

虚構そのものであってもいい。

ただ、誰が見ても聞いても、おもしろく、巨大なロマンにあふれ、みんなが元気になり、癒され、優しい心に立ち返ることが出来、感動で、どんな悪人や金持ちも 人生をやりなおしたくなる 生物が本能から解放された時の 新鮮な感性を思い出せるような、そんな大虚構物語であればいいのだと思う。

下賤芸能教団の教主としての私は、その骨格と、その骨格のための心の哲学を提供することが出来るだけだ。

この神話物語は将来、皆で作ろう。

セリフと書くのが得意な人、時代考証にたけた人、ジョージルーカスのような人^^、などなど、  せっかくの芸能教団がここにうまれたのだから、

大地に根付いた 新しい巨大なスケールの スターウォーズなんてぶっ飛ばすぐらいの、次の時代のための神話を、皆の力で作ってゆこう。

それが、下賤芸能教団の未来のパワーなのだ。


今日は以上です。

(だいぶ先の話になるかと思いますが、この辺の詳しい話も さらに続けていきますね。 今回は そのほんの基本の紹介です)


((なお、神話だけが 下賤芸能教団の 文化大革命の創造の世界のビジョンなんかではなくて これは その「こと始め」に過ぎない。))

▲▲▲

わたしには 独自の才能があるのかもしれない。  それが 一芸を追いかけつづけたことで花開こうとしているのかもしれない。

でも その命のすべてが、そしてその大成功するかもしれない花も すべて、単なる偶然に思える。

因果の巨大な流れの中にたまたまそうなっただけ。

生まれ続けている 地球上のその位置にいる人の中の意識の中の 一つの偶然。

単なる偶然に過ぎないと思う。

でありつつ、 人間を信じるという起点こそ、 つぎのコペルニクス的宗教転換の地点だも思える。

悲しみに満ち、 多分、知るほどに悲しみに満ち満ちた世界。 

もし聖母マリアが、ほんとうに今も何らかの形で生きているのであれば、 彼女は今では狂女にもなっているのではと思えてしまうような 悲しみの世界。

それでも その渦中に 人を信じれるなら、 それだけが、再び、はいずって生きなおし始める地点であるように思える。

結局、どんな誰の意識をも尊重して歩くのが、その道のように思える。

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