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2019年07月03日22:18

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先ほど、面白いことを書いたので(^^♪

先ほど、下賤芸能教団の 教主メッセで面白いことを書いたので紹介します。


▼▼▼

【教主メッセ】 ならば私たちは新神話を作ろう(1)

法華経というお経の如来寿量品16の部分に 久遠元初の仏が説かれているゆえに、 それが法華経の眼目とされていることについて 誰か解るように説明できますか(^_-)-☆。

日蓮が その部分にこそ 南無妙法蓮華経の5字7字が隠されていたと説く、その部分の意味だ。

そこには、そんな題目(その文字のこともそれを唱えることもだ)のことも、何も書かれてはいない。 なのに?



なぜなのだろうか?

久遠元初の仏が説かれている部分だから、と学者は言う。?


宗教家も言う。 ???

で だれも そのまま信じるだけで、久遠元初ってなんだか、説明してる人がいない。 ?????


なななんと、仏は、那由多なんとかとうとてつもない年月のさらに56乗倍の昔から生きていたとかいうのが、久遠元初なんだってさ。


それほど 人間と仏の間には 差別があるんだってさ。

それが仏の心の世界なんだってさ。


平等を説いた仏の魂は、どこに行ってしまったのだろう?????????

違うでしょ。

久遠元初って、人間が誕生した時の 本能から解放された命が、どれだけ新鮮で純粋で、感動に満ちた命だったかを、思い出せるかのように気が付く心のことでしょ。

たぶん猿か類人猿かが、 地上でよほど苦労したか、そこによほどの突然変異かがあって、その生物の脳に、物事を俯瞰して見つめる脳が宿った時に、その生物の命は、人間と呼べる生物の命になったのだと私は思う。

だけれども、その「見つめる脳」が見つけたのは まずは心の世界、感性の世界だったのだ。

物事を分析し、分類し、選択して、反省し、進歩できる論理脳や言葉の脳を獲得したことも 大きいのだけれども、それ以前に 私達の祖先は ほんとうは心の世界を知ったのだ。

本能から解放された時、人は  そこに青空が青く輝いているのを普通に感動してみることが出来た。 白い雲がながれている雄大な空をふつうに感動して見つめることが出来た。  川のせせらぎは、それまでの生物にはただの物理的水の流れで、危険だったり、冷たかったり、のどを苦しみから解放してくれるものだったり 本能が求めるもの以外の何物でもなかった。

でも 人がそこに本能から解放された時に見たものは、聞いたものは、あの心深く深く私たちを癒してくれる せせらぎという名の子守歌だったのだ。

そんな言葉以前に、 はじめて、癒される、体の底の底から癒される音を その赤ちゃんのような純粋な魂で聞き取ったんだよ。


でもね。 人間が生まれたばかりの時って、厳しすぎる環境でもあったと思う。 私たちの想像を絶する苦闘なしには生きられなかった時代でもあったと思う。

だから、そんな心の地点を、 深く宿した人間の命を持っていながら、村と村の水争いのような 修羅場も生まれたと思う。 人類は争いもしながら生き抜いてくるしかなかった。 そんな簡単に、生物の生存競争から抜け出せなかった。

たぶん、多くの多くの古代人が、そのことで苦しんだんだと思う。

でもそれを乗り越えることはできず、 平和と争いの巷を抜けるようにして、はいずるようにして生きてきたんだと思う。

もう最初の純粋さは見えなくなっていった古代人たちも大勢いただろう。

だから、だからこそ、 そこには日本の縄文時代のような 一万年もの間、考古学的に争いの跡が見つからない奇跡の時代を、 私たちは何よりも重視するのだ。

その精神を考えす,想像せず、瞑想してすこしでも知ろうとせずして、 人間の誕生の奇跡を想うことはできない。

と私は考えているのだ。


古神道をさらに超えて、現代神道のある研究所は(そのうちに明らかにすることになりますが)、そのもっとも平和で素朴な時代の奇跡をなによりも大切にする。


おっと ここで 最初の日蓮の 話に戻そう。

南無妙法蓮華経の5字7字の それぞれの意味についてはここではともかく、 その文字は、普通の日本語の意味として考えたら、


そのまま、そのもっとも素朴な魂の世界を、これほど表現しきっている言葉が他には見つからない言葉となっているのだ。

しかもなんと日本語でしか、その感覚はつかめない。

なぜ 中国の天台という 仏教のすべての流れをまとめたような人が 法華経を本当に広める人は日本に現れるだろうと予言したのか、預言できたのか?

その本当の史実については、私には解らない。

でも、もし、その裏の裏に 日本の縄文時代からの、とある大きな大きな流れを想像するなら、 そこでこそ、私たちの心には、すべてのつじつまがあってきて、すとんと その辺の真実が見えてくるという事なら、言えるのだ。


縄文一万年時代、 今から8千年前から 大きな集落が生まれ始めたようなのですが、 それ以前から、おそらく海域では、 巨大な交易が生まれていたと私は想像する。

沖縄から北海道までその交易の領域はひろがっていた。

それ以前に、さらにその辺の歴史のロマンを想像するならば  約一万年前に アメリカ大陸を南に向かった人類が定着したアンデス地方から 南の島づたいに、 ポリネシア、フィリピン、台湾、沖縄、そして日本へと、 船で渡ってきた人たちがいた。

その人たちは、熱い太陽信仰をもっていて、世界中に多くある
同じ太陽信仰であっても日本の天照大神から生まれた太陽信仰と似ていると感じる人は多いのではないだろうか。

それはともかく、 ある人は、 アンデス地方の音楽が日本人にとっても、奥深く懐かしいのが、その証拠だと言っていた。

「花まつり」などは、徳の懐かしく感じる曲なのだというのだ。

わたしも、なんとなくそんな気がする。

やがて時代がさかのぼれば、モンゴル系が一番多くなったのかもしれなくても、 縄文時代に最初に日本に入ってきたのは、 船のその人たちだったのかもしれない。

さあ、新しい神話の始まりだ。

真実自体は、史実自体は、もはや考古学しか探る手立ての無い時代の物語、 その考古学にしても、現代が行きついてしまった限界が見え始めているだろう太古の世界の物語。

物事を俯瞰する生物が アフリカのタンガニーカ湖畔に生まれて以来、人類は世界中を移動する旅をしてきた。

とうとうアリューシャン列島からアメリカを横断して、地の果て、南米のアンデスの地まで地球をくまなく旅した民族(旅人、放牧者、移住者)の中に、 知恵者が生まれたのだ。

人類史を 彼は、俯瞰した。

太陽の奇跡と命の奇跡、人間誕生の奇跡を彼は、俯瞰した。

そこに、命の愛の根源、和の根源を見出した。

ただの交易ではなくて、何かを彼は求めて 船で西へと旅立った。


なにかを、もといた 人類の大地に伝えなければ・・・・!


その仲間の一部が とうとう日本に流れ着いた。


か どうかは、ともかく(^^♪。


ここまででも、長くなりすぎたので、この続きはまた、明日。


(つづく)

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