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2019年06月30日21:57

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情報が世界

TBSラジオで『いだてん』特集 大ファン3人が宮藤官九郎の前で魅力を力説
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5686080


 いだてん、韋駄天、 一応毎回時間が来ると見てはいる。 ただ、あまり面白くない。 時々途中退場してる。あまちゃんは面白かった。TBSラジオ アクション もよく聴いている。宮藤官九郎さんのことはいつも一生懸命突っ込んでやってるからすごいなぁと思っている。頑張ってるよなぁという感覚が大きい。それは励まされていると言ってもいい。


 テレビ、ラジオ、インターネット、映画、音楽、本、絵画、演劇、携帯、スマホ、ゲーム、。


 情報化時代の世界は、情報、なんだ。


 情報を基本に情報に触れている人々の感性で作品が創られる。これはクドカンに限った話ではない。テレビ、ラジオ、インターネット、映画、音楽、本、絵画、演劇、携帯、スマホ、ゲーム、・・・・・。現代社会における情報の影響はほぼ全てだと言ってもいい現状なのかもしれない。特に都会において、都会の会社、都会の学校、都会の暮らしにおいては。

 東京、大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌、・・・・、都会に集中しがちな人々の暮らしが経済の多数を占めるとなれば文化活動もそんな人々につられるものになるのは自然な流れなのかもしれない。歌は世につれ世は歌につれ、と言うし。

 人間の五官というものは誰にでもある。五官は皮膚の外を感じ取る。五官が何に反応するのか。

 ここまで情報が様々な形で入り込もうとして来る社会をこれまでの歴史の中で人間は経験したことがあっただろうか。技術や道具の進化がそれを可能にして一体何年が経過したんだろう。

 クドカンのいっこ上の自分はまあ同世代。ラジオテレビから始まってスマホに至るまでの変遷をその身に実際の変遷として感じながら育った世代だと言っていい。暮らしも、会話も、思考回路も、仕事も、・・・、何もかもに情報の影響は受けている。


 情報、はよくよく辿ってみると、どこかの誰かが発信したものであることは間違いない。 つまり、作り手にとっては過去なのだ。

 情報に振り回されていると言ってもいいくらいの我々は実は誰かの過去の意識を追いかけ続けているに過ぎないのかもしれない。

 結果、情報を受け取りながら暮らす我々は誰かの過去の意識に閉じ込められて暮らしを送っていると言ってもいいのかもしれない。誰かがその人の意識で現実を切り取ったものをまとめ上げて情報は作られているためだ。現代人はありのままの現実を個性によって感じ取ることをあまりしていない可能性もある。人間が人間の意識の中に閉じ込められていくことはもしかしたら何か危険な過ちにつながっていく可能性があると言っていいのかもしれない。



 人生において何かがこじれてテロリストみたいになった人達が宗教的に言う、「偶像崇拝をしてはいけない。」ということをくそ真面目に受けて像や院を破壊すると言った動きが時々見られるけれども、「偶像」というのは「情報」のことなのではないのかと自分は最近考えているところ。ノストラダムスが、「恐怖の大王が天から降ってくる、」といったようなことを記述していた気がするけど、インターネットのようなものがもしかしたらそういうものなのかもしれない。

 
 いだてん、はどうもつまらない。このつまらなさは、何か人間の感性に対して直接響かないというつまらなさなのではないのか。クドカンが誰かの情報に触れてそのあとに作品を創作する、だからそれを見る我々は二重に誰かの過去の意識を通過した果てを見せられている。なんて言ったらいいのか、わざとらしい、のだ。


 直に生きたいと思うのは私だけなんだろうか。腹が減るから飯を食う。疲れたから横になる。もよおしたから小便をする。別に誰かの情報にそそのかされて腹が減るわけではない。


 情報として自分の五官に届くいろんなものがあるけれど、いだてん、もそのうちの一つ。出来るだけ生に近い状態で歴史事象を届けてくれればもうちょっと見るのかもしれない、と、なんとなく考えてみる、生に近い感じ。   うまく言葉にできない、・・・・・ 。大河ドラマの枠はそういう大きな歴史的うねりを生に近い状態で表現できる枠を用意していると言ってもいい気がする。例えば、龍馬伝、の方が生という意味でいえばより近い感じだった気もするのだ。


 
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