ドイツ兵が何を着ていたとか何を食ってたとか北京原人じゃあるまい?
わすが70年とか前じゃ考古学なら考察する価値も無いだろう。
リエナクトなどで当時を追体験など出来ないが俺の持論だ。
リアルな服や食い物で当時のドイツ兵の気持ちなど分かるはずもない
一番分かりやすい方法は服や食い物でなく、実銃で撃ち合いをしたら良いだろう。
銃器の撃ち合いをしながら1ヶ月野宿をするのだ。
疲れはて精神的に追い詰められた人間が服の着こなしなど気にはしない。
砲弾が落ち、泥まみれになり湿ったシラミだらけの異臭がする服を格好よく着こなししようなど誰が思う?
実銃が無いならホームレスに身を落とすのも手だ。
何の希望も無い生活をしながら身だしなみにどこまで気を使えるか?
寒さに震えて「参加を勘弁して欲しい」など戦場では言えない。
肺炎にかかり死んでしまうのが兵隊だ。
規律で士気を維持をしてもドンドン劣化してしまう
要するに我々の好きな戦争とは何の希望も楽しみも無いのだ。
リアルに体験をしたら二度とこの趣味には戻って来なくなるだろう。
だから、いくらリアルだ素晴らしい軍隊行動だと言っても
所詮、我々がやってる事は軍服を着たキャンプに過ぎない。
だから、どの位置を着地点とするか毎回悩む。
服を装備をリアルにしたならリアルに使われてる状態もまた再現しなければ無意味だ。
ロールアウトした状態が好きで兵器プラモをピカピカにしたい人はプラモが好きなのであって兵器は好きではないと毎回感じる。
人も物も実際に運用された状態まで再現してのリエナクトだろう。
動かせば傷だらけになりクタビレるのは人も物も同じなのだ。
七人の侍で俺が一番感心したのは、やたら立派な兜を褌一丁の野盗が被ってるシーンだ。
もちろん黒澤監督が戦国時代など知るはずもなく、当時の盗賊の服装など知る術は無い。
だが、立派な兜を拾った盗賊が見た目がおかしいと知りつつ兜を被らなければならない心情は理解出来る。
怖いからだ。
褌一丁で斬りあいと考えれば、少しでも体を守れるなら守りたいと思う心情は現代の我々でも理解出来る。
しかし、その心情は映画製作者の想像力なのである。
本来ならリアルもへったくれも無い話なのだが、褌一丁の盗賊を俺はリアルだと思った。
要するに何が言いたいのかと言うと資料と同じレベルに想像力も大切だと言いたい。
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