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2019年03月27日15:43

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韓国

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5977866.html

(2012年10月05日ミクシイ日記)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1874364438&owner_id=6445842



 次の記事をお読み下さい。これは、第二次世界大戦の末期に、或るドイツ人親子に起きた出来事です。


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 あれから半世紀がたった今でも、ヒルデガルド・ブーブリツは、恐怖の記憶におののいている。家族とともに東プロシアを逃げ出したときの体験だ。
 ある夜のこと、ブーブリツは家族や仲間と民家の地下室に隠れているところをソ連兵に見つかった。ソ連兵たちはまず、腕時計を巻き上げた。次に欲しがったのは、女だった。
「私たちの中に女性教師がいた。四五歳で男性経験のない人だった。」と、ブーブリツは語る。
「彼女は、一○人のソ連兵にレイプされた。血に染まった下着姿で戻ってくると、大声で泣き叫んだ」
 この教師の母親は、娘を抱きかかえてこう言ったという。−−「私がカミソリの刃を持っているから」。
 そして、親子は外に出ていった。「二人は森の中で死んでいた」と、ブーブリツは言う。

(アンドルー・ナゴースキー「終戦後の『民族大虐殺』」ニューズウィーク日本版1995年5月17日号42ページより)

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 一体、この親子が、何をしたと言ふのでしょうか?


 第二次大戦末期、ドイツに侵入したソ連軍が、占領したドイツの町々で、子供や老人を含む多くのドイツ人女性を強姦、輪姦した事は、有名な事実です。首都ベルリンをはじめ、ドイツ東部のあらゆる地域で、ソ連軍の兵士たちは、ドイツの女性たちを徹底的に強姦しました。その中には、例えば、こんな事例すら有ったのです。


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 ドイツでは、老女から四歳の子供にいたるまで、エルベ川の東方で暴行されずに残ったものはほとんどいない、といわれている。あるロシア人将校は、一週間のうちに少なくとも二百五十人に暴行されたドイツ人少女に出会いさすがに愕然とした、という記録が残されている。

(半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」文藝春秋社・1999年 274ページより)

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 これは、記述からお分かり頂ける通り、加害者であるソ連側が記録した事例です。そのソ連側の記録で、一人の少女が、「一週間のうちに少なくとも二百五十人(のソ連兵)」に強姦されたと報告されて居るのです。
 そして、これは、ソ連に占領された地域で起きたソ連兵による数え切れない数のドイツ人女性に対する強姦、輪姦のほんの一つに過ぎないのです。


 そうしたドイツ東部で起きた無数の悲劇の中で、私は、こんな恐ろしい事例が有ったと読んだ事が有ります。それは、ドイツ東部の或る町で、その町を占領したソ連軍が、その町のドイツ人女性たちを教会に集め、その教会の中で、それらの女性たちを強姦、輪姦したと言ふ事例です。
 教会の中で、です。皆さんは、その情景を想像できるでしょうか?キリストやマリアの像が有る教会の中で、そんな恐ろしい事が起きたのです。

 私は、キリスト教徒ではありません。しかし、この話を読んだ時、私は、衝撃を受けずには居られませんでした。


 戦時下、占領軍によって被占領地の女性が性暴力の犠牲に成る事は、ソ連軍以外の軍隊にも有った事です。ドイツ軍自体にも有りましたし、日本軍にも有りました。しかし、古代や中世を別とすれば、19世紀以降の世界史において、第二次世界大戦末期に、ソ連軍が、ドイツと満州で行なった集団強姦ほど大規模で残虐な事例は、他に無かったと断言して間違い有りません。沖縄でアメリカ軍が繰り返した性犯罪もひどい物でしたが、それすら、ソ連軍が、大戦末期、ドイツで繰り広げた強姦や輪姦に較べれば、較べ物に成らない程、ソ連軍のドイツでの性犯罪はひどい物だったのです。この時期(1945年春)、ソ連軍に占領されたエルベ川東部では、強姦されなかった女性は居なかった、とすら言はれる程、それは酷い物だったのです。(特に、それらの強姦犠牲者の中に、どれだけ多くの幼児が居たかを思ふと、鳥肌が立ちます。)



一方、言はゆる「従軍慰安婦問題」はどうなのでしょうか?


驚かずに、次の記事をお読み下さい。



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『サピオ』2007年5月9日号
「アメリカ人にもわかる『従軍慰安婦問題』の基礎知識」
(同誌編集部)より


Q.慰安婦たちの証言はウソ?


 メディアの前で泣き叫びながら、自らの不遇を訴える元慰安婦たちの証言はどこまで信用できるのか。
 前述した金学順さんの場合、実際に慰安婦だったことは確かなようだが、証言に論理的矛盾があることは吉見教授も認めている。
 韓国で慰安婦問題の告発を行なっている「挺身隊問題対策協議会」が、元慰安婦として登録された女性40名に聞き取り調査を行なったところ、21名が自ら進んで慰安婦となっていた。残る19名が自分の意志に反して強制的に慰安婦にさせられたと証言し、同協議会はその証言集を出版したが、内15名は家が貧しかったために親に売られた書かれている。残った4名の内2人は富山と釜山に強制連行されたと主張しているが、どちらも戦地ではないので軍隊の慰安所ではなく、送られたのは普通の売春街であったと考えられる。残る2名が、金学順さんと貯金返還訴訟を起こした文玉珠さんで、文さんも最初の頃は「養父に慰安所に連れていかれた」と言っていたはずなのに、証言集では「日本軍将校に連行された」と証言を変えており、信憑性に疑いが残る。つまり、韓国側の調査でも、「強制連行された従軍慰安婦」の実在を確認できなかったと言える。
 米下院では2人の韓国人女性が証言した。その内の1人、李容スさん(17ページ写真)は、証言するたびに連行された場所や年齢、状況、慰安所のあった場所が二転三転し、まったく証言に一貫性がないことで有名で、本当に慰安婦だったのかさえ疑われている。もう一人の金君子さん(同写真)も、公聴会で「警官に家を出てお金を稼がなくてはならないと言われた。軍服を着た朝鮮人が私を送り出した」と証言したが、別のインタビューでは、「17歳のときボーイフレンドとの結婚を彼の両親から反対され、不本意ながら日本に性奴隷として招集され、中国に連行された」と述べている。
 時と場所により変化する証言を米下院は証拠として採用するつもりなのだろうか。
 親に売られた女性に対して同情心を感じるのは人として当然のことだが、だからといって旧日本軍の戦争犯罪と結びつけるのは間違いである。


サピオ(SAPIO)2007年5月9日号
19ページより


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「従軍慰安婦問題」とは、実は、こんな話でしかないのです。



その一方で、韓国人は、第二次大戦後、朝鮮や、日本国内で、多くの日本人女性を強姦して居ます。更には、ベトナム戦争中、ベトナムに派遣された韓国兵は、多くのベトナム人女性を強姦し、殺害して居ます。それにも関はらず、自分たち(韓国人)がやった日本人やベトナム人の女性に対する性暴力には口を閉ざし、「従軍慰安婦の強制連行」などと言ふ作り話をいつまでも、いつまでも、しつこく叫び、日本の子供達にまで嫌がらせを続けて居るのです。



以下に御紹介するのは、韓国人が自ら述べるベトナム戦争中の韓国軍の行為です。



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 大東亜戦争期に日本の軍人が残酷だったという点は十分にうなずける。だが、韓国と中国が機会さえあればそういう軍人の行為を戦争犯罪だと非難するのはおかしな話だ。これは、それが犯罪であるかないかの問題ではなく、「糞まみれの犬が糠(ぬか)まみれの犬を汚いと咎(とが)める」(目糞鼻糞を笑うの意)たぐいのことなのである。
 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えるといわれて、なんの関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無この良民を見分けることができず虐殺したのはわずか三〇余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナムでは「タイハン」(韓国軍のこと)がきたといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣き止んで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらにアメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したともいう。このように韓国軍の残虐さを記録した資料は計りしれないほどある。ベトナムの人びとは韓国軍に抹殺された村ごとに碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓いあっている。米軍はベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺したベトナム人は三〇万人をこすと推定されている。
 「遠くでタイハンが私たちを呼んで手まねきした。かれらは手にアメを一握りもっていたので、私たちはわれ先にもらおうと走っていった。しかし私たちが近ずくと、アメをもっていたタイハンは笑いながら銃をとるや、いちばん先に走ってきた子どもの頭めがけて引き金を引いた。そうやって先にいった子どもが三、四人死んだ。私は殺されると思って逃げた。あれが果たして人間なのかと身震いしながら走った。私たちは、大きくなったら必ず韓国からきたあの悪魔に復讐するのだとなんども約束した」
「後輩のひとりが今年軍隊を除隊しました。後輩の話によれば、彼の部隊長は、ベトナム戦争のときに自分の部隊が村を丸ごと焼き払い、住民を撃ち殺したと自慢げに語っていたということです。かれらは修道女まで殺したそうです」
 この種の証言は、ベトナムでも韓国でも何人かに尋ねてみれば聞きだすことができる。たぶん軍隊生活の経験がある韓国の男性なら、ベトナム参戦軍人から数多く聞いていることだろう。いまとなってはそれほど驚くほどの内容ではない。

(金完燮著 荒木和博+荒木信・訳 『親日派のための弁明』
 (草思社・2002年)44〜45ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E6%97%A5%E6%B4%BE%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%BC%81%E6%98%8E-%E9%87%91-%E5%AE%8C%E7%87%AE/dp/479421152X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1344678660&sr=1-1


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ソ連軍や、韓国人自身が行なった性暴力は不問に付されて居ます。その一方で、何の証拠も無い、「証言」に一貫性の無い「従軍慰安婦の強制連行」は、いつまでも、いつまでも、大々的に取り上げられ続けて居ます。





平成24年10月5日(金)





                  西岡昌紀



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