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2019年02月25日22:39

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ミクシィの新たな船出に(39)(世界情勢の縮図としての沖縄と ビギンの歌)

 私一人の力では、 この隙間風の絶えないつらい状況の多い日本の介護の状況を、 真逆の楽しい それも魂の底から楽しい介護状況とそのエネルギーの世界へと パラダイムシフトしてゆくのは 難しい。

その原理原則は けしてむずかしいことではないのだけれど、 私は71歳だし 日々の生業のほうも忙しいのだから、 なによりも戦う時間が足りない。

今日は、 ビギンの歌からも垣間見れる 沖縄という翻弄され続けている島の「悲しい」世界を 、 世界情勢の縮図として 見つめなおす作業をしておきたい。

でも、それならば、 なおのこと、  まずは ミクシィにある、さまざまな沖縄関連のコミュにこの日記の存在を先に 知らせておく必要があるだろうし  そのコミュの中の人たちの関心をこちらにむけるためには、 さらにそのコミュの中で きょうこれから書く内容についても すでに書き込んでいなければ  それが なんらかの 私の求める介護のためのゆるやかな連帯へと通じてはいかないわけです。

ただ、 この「日記」も  あとからの工夫、で、 タイトルを整理して  私が新たに作ってゆく(これはまだ 先のこととなるが)コミュで いつでも興味のあるタイトルから読める内容を 書きためておくということはできるはずです。

その時のためにも、 ここは、 どんなに地味な活動のように思えても 毎日毎日、大事な内容を書き続けておこうと思う。

ビギンの歌について、の方から書こう。

「島人の歌」の内容は 結局 複雑だ。  それだけ 多くの状況によってほんろうされている沖縄の人たちの心の世界が、天才的歌い手を通して反映されているのだと思う。

「オジーのオリオンビール」や「オバーの爆弾鍋」という はちゃめちゃに楽し気な歌にしても、 そこには 沖縄の歴史、 郷土の心の世界が 深く反映されていることからもわかるように、  

昨日は「島人の宝」を ビギンが気軽な歌として あえて意図して作詞作曲したと書きましたが、 裏にはやはり、 こうした沖縄の歴史があり 情勢の複雑さがあり、それが反映された歌となっているのだと思う。

その地で育ってきたわけではない人が、それを歌おうとしても、  そのタマシイをを本気でとらえようとするほど、 それは たぶん、 とても悲しい歌となってしまうと思う。

元気を出すための歌、仲間同士のパワーを生み出す歌が、 悲しく沈んだうたとなってしまい、 鎮魂歌ならそれはそれで意味があっても  けしてうまく歌うことはできないのではないかと思えてきてしまったわけです。

「さとうきび畑」の歌なら、そのまま 癒しのリズムが 反戦の歌として生きてくるでしょう。  悲しさがパワーとなる歌だと思う。

でも ビギンの歌の 「島人の歌」を含むいくつかの歌は 沖縄の人が歌ってこそパワーとなり力となる沖縄ソングだと思うのだ。


基地を含む、 埋立地を含む この沖縄の状況を  では どのようにとらえたらいいのだろうか?

どのようにしたら、それは 解決の方向に向かうのだろうか?

わたしは、これはもう 政治家の外交には期待できないし、いままでの民間外交にも揺り動かせない根深いマイナスパワーが   極度な形で働いてしまっている世界だと思う。

その現実から目をそらしては、 明日はない。


かんたんに 沖縄をめぐる世界情勢を描写しておけば、

まずは 中国共産党一党独裁の脅威の問題がある。

これがある限り(チベットや ウィグル自治区での 過酷な支配に象徴されるその現実は、その一党独裁に覇権主義がある限り、日本も その脅威にたたされることなるため)

沖縄という地の利により 沖縄から米軍の基地を撤退させることはできないことになる。

沖縄や北海道に 中国人が策略的に入り込んできているという話もあったり、その流れとかさなって、スパイ天国の日本には さまざまなスパイによる 画策が徐々に行われていて 戦争の準備も進んでいるといった話も聞く。

覇権主義があるかぎり、それは 何らかの形で 当然予想されることだ。

はっきり言って そうしたことを押しとどめようとしても 大きな渦ができてしまっているので、 それじたいは その矢じたい、渦に巻き込まれてしまうので、 よほどの巨大な何かが起こらない限り、その流れを断ち切ること自体はできない。

それよりも、 まずそのもとを 断つことが必要となるのだ。

もとを 変えてしまうことが必要なのだ。

根底から変えてしまうことが必要なのだ。

えっ、 中国共産党の覇権主義を 変える?

共産党は 昔 結局大きなお金の流れに動かされ ユダヤにも動かされて誕生していて それゆえに その裏の流れに肝を捕まえられていたことが 今では知られていますが、

平等とは裏腹の そのつめたい独裁権力の歴史が必然となってしまったとはいえ、

私の考えでは、今の中国共産党ならば、 過去のそのすべて楔と流れを変えることができる可能性を宿していると思えているのだ。

中国はたしかに、戦乱に次ぐ戦乱の歴史があり 戦略とずるさにたけた国民性も持つに至っていたりするし、 現代ではまた ほかにもさまざまな 覇権主義的な中華思想につながる心理的要素も生み出されてしまってきていると思う。

でも、あの広大な中国の大地と大自然は いつも変わらないし、

そして、その大地からは むかし、医学の故郷としての まさに、いたわりの心の根元が生まれたそんな根源的な心のパワーを  さらに心の奥の奥かもしれなくても宿している民族でもあるのだ。

そして この大自然の感覚というものは、  一言で言えば いついかなる時にも復活しえる感覚でもあるのだ。

もし、中国共産党が 過去の忌まわしい権力闘争や 表面的な道徳論による支配ではなくて、そのもともとの医学の魂、 それも ただの医学ではなくて、介護もふくめた総合的な医学の心の原点に立ち返るならば、   これこそは、  力による圧制ではない 自然で深い教育の世界による 政治を可能とする地点が生まれ、 中華思想は 覇権主義を克服した新しい世界経済発展の中軸ともなってゆくはずなのだ。

こうしたことを こんなに簡単に描写しては、夢物語に思えるかもしれないですが、

今の医療の世界は 介護魂(かいごだましい)を忘れているから よくわからないだけだと思う。

これから、 少し先には 中国は 日本にも勝る高齢化社会の問題群に突き当たっていくことになる。


その前に ここに気が付くことは、なにもかもを改革する大きなチャンスにもなるのだし、

私は もし日本が 介護の世界を変革する模範となるのであれば、   ・・・

ながくなるので 略して書いていくしかないところですが、

ここまで書けばわかるのではないだろうか!


その時に、中国が 中国共産党が目覚める世界  そこには 沖縄に象徴される 中国の脅威の世界は 消えてゆくという事なのだ。

このことでは、ほんとうは、もっと詳しく書きたくなることはたくさんある。

そしてまた それは 簡単な道ではない。

ですが、 おおよその骨格的な流れとしては、  こういう流れをとらえておくことが大事な時だと私は思う。

そのまえに、日本は 介護状況をかえるどころか この状況の傷口がさらに大きくなり、それも重しとなり、日本は撃沈してゆくのかもしれない。

言いたいこと解りますでしょうか!

いかに 今 高齢者が元気になること 弱っている人たちのリハビリ、それも魂からのリハビリが  今の今の日本に、どれだけ根幹的に大事なのか。

老人が元気になるという事は、 生産だけの問題ではないです。 知恵の伝播の問題でもあるのです。・・・。

詳しくはここではともかく、  ここだけは ここを訪れた人たちに解っておいてほしいことでした。

だからこそ 私は  今ミクシィで そのための活動を開始し始めているということなんです。

71歳の老骨に鞭打ちながらです。

ここで話を元に戻しますが^^。

私が、沖縄ソングとしての「島人の宝」を本当に歌えるようになるのは その希望が訪れたときなのだろうと 思います。

今日は、以上です。


おやすみなさい(^_-)-☆♪

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