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2019年02月06日23:27

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ミクシィの新たな船出に(24)(歌の紹介と「幸せ論第7弾、最終回」

 今日は水曜日ですから 土日は 明々後日からの二日間、 今度こそ休みが取れると思いますので、  その時には できるだけ多く しっている歌を、ともかく歌ってみようと思っています。

毎日 づうっと少しづつ続けているダンス(心のダンス)のほうが 進化しているので、たぶんそれに合わせて歌も進んでいるのではと 自分で期待しています。


もちろん、YOUTUBEアップという事で言えば、 解説もしてみました「島人の宝(しまんちゅーぬたから)」は 外せないですが、

思い通りに時間が取れるのであれば、 まったく違った歌「網走番外地」や「暴れ太鼓(あんこ入り)」も ちゃんと練習してきてみたいです。

そのうち「網走番外地」は、 こちらの「日記」に合わせるために、 できればYOUTUBEアップしておきたい歌となります。

人が心に希望と見つけるためには、沖縄の歌の「島人の宝」のように、大自然や人の絆、ぬくもりの中に、心の宝をみつけるべく 心が癒されることが必要です。

でも、運悪く そのきずなやぬくもりを得られず、 最初はふとまちがえて、気が逆上してしまい犯した罪が  そのまま下げずまれ 色眼鏡で見られ、どんどん社会から受け入れられない世界へと進んでしまった人たちの命も、 まったく同じこの大地の上に生きてきた同じにかけがえのない命。

大自然も そしてほんとうの大人の人情の世界も、そんな命を見捨ててはいないということを そっと静かに歌い上げているのが「網走番外地」の歌なんです。

そんな暗く厳しくつらく悲しい世界にも 歌には    ほんの一点かもしれなくても あったかい明かりが 希望の光が見え隠れしているんですよ。

歌舞伎町に住んでいたころは、だだの珈琲館のチーフで 何もできない人間だったのに、 喧嘩喧嘩で明け暮れて生きてきたような人たちから 結構慕われていました。

ほんとうに何も出来なかったです。

いろんな話を聞くことができました。

彼らも ほんとうは親を愛していたりしました。  誰も知らないことです。

もしかしたら、親も知らないでしょう。

だれだって、おんなじ命なんです。

でも、何もしてあげられなかった。

歳とって想いだせば、 感謝しかありません。  会えたことへの感謝です。

せめて、 「網走番外地」のような歌が歌える老人でありたいなと思うのです。

この歌は
説明は抜きです。 

もし 土日に その歌もアップできましたら、ぜひ聞いてみてください。


(坂本冬美の「暴れ太鼓(あんこ入り)」も、 任侠道に近い男の心の歌ですが、法ではなく人の人情に生きる歌。  この歌にも 大自然の癒しが含まれているんです。 だから無法に生きる世界が見えてくることがあると歌っている歌です。  これは難しいですが、 できれば これも アップしますね)

歌については、今日は以上です。


「幸せ論」の方は 第7弾、きょうは最終回となります。

↓↓↓

人は、結局 ただあたりまえに、でも本気で自分を愛せればいいんです。

どんなときにも その向こうには希望があると信じることです。

洞穴の中の旅人のお話をしましょう。

それを本当に信じたくなる時、 人の命を信頼したいと心の底から思う時、人はむしろ暗闇の中の住人となるのだと言います。

真っ暗な 洞穴の中の住人になるんです。

光を求めて その住人は、心の世界の旅人となります。

倒れても倒れても なお 彼、彼女たちは、また立ち上がり、歩きつづけます。

傷つき疲れ果て、どろだらけになっても、それでも 歩ける限り進み続けます。

でも、 どんな根性がそこにあっても、

絶望してしまう時が来ると、 人は歩けなくなるのだと言います

生きる気力もうせてしまうのだというのです。

倒れこみ もう起き上がることもできない旅人がいました。


と その時です。

なにかが その旅人の目に映ったんです。

たった一点の何かが、その旅人の目と、そして心に宿ったのです。

なんだかわからないほどの 一点の光がです。

でも そのとたん、その旅人は、再び立ち上がりました。

「出口だ」 求めていた「希望の出口だ」と 

心の奥が叫び始めました。

真っ暗だからこそ見える、一点ですらないかもしれな光。

再び歩き始めた旅人は、けだし、止まらないでしょう。

再び傷つき 倒れたとしても、傷だらけとなったとしても、 彼は、歩きづづけるでしょう。

命のある限り。

これが、希望とはという事を例えた 洞穴の旅人の例え話です。


 実際には、それは こんな風になっているのではないかと思います。

私が 五感の感覚を失う感じの心の病気にかかったお話をしたと思いますが、その時に最初にそれが治るきっかけとなったのは、

多摩川の河原に 心身すっかり疲れ果てた状態で、どてっと寝ころんでいた時に、

小一時間した時に聞こえてきた、川のせせらぎの音が、

自分の心を癒してくれていることに気が付いた、ふとした瞬間でした。

はじめて 青い空が広がり、白い雲が流れていることにも気が付きました。

川の音が教えてくれた、取り戻させてくれた感性の世界です。


そこから 数日で私は、以前のふつうの感性を取り戻していたんです。

それもただの、当たり前の、川のせせらぎの音。

それが、当時何かを求め始めていた希望の光だとは少しも知りませんでした。

でも こんなのが 私の魂の奥には、たぶん希望の一点の光となっていたのでしょう。

私は 歩き続け、生き続けてきました。

そうして、 最後、 母を一生懸命介護する体験をしました。

あたりまえに、 だだあたりまえに、

心の何かを求めているなら、希望の何かを求めているなら、 

そんな 当たり前のことさへできないでどうするんだと 思えたからです。

いろいろありました。

でも、最後の最期に、 母は、私をじっと見つめて 笑って息を引き取ったんです(何度も書いてますが^^)。

お年寄りの顔は、しわだらけとなると、あのシンデレラ姫をいじめた悪い魔法使いのばばあのようにやつれて見えます。

母も最後の方は、そんな感じでした。

ただ できるだけ 笑ってもらうよう努力していたのですけど、 笑ってくれる時のそのしわだらけの顔って 逆に、全面的な満面の笑顔になるんですよね。

赤ちゃんの笑い顔もかわいいですけど、 そこに年輪の美しさが加わったような感じのものです。

最後、何か変だと感じて ベットに駆け寄ると(これは直感でした)、 母はじっとわたしを見つめ,

瞬きもしないで じっとこちらを見ているのです。

さらに何かおかしいと思えてしまったので、 どこか苦しいのかと心配になり、 背中をさすってあげようとしたら、   ぽっと口が開いて、 満面の笑顔となり、

それも 最高の笑顔となり、

その直後静か口を閉じたので、    脈をとっていてみていた次第。

それが 母の最期でした。

当たり前の、事の奥にこそ、 何にもかけがえのない、心の宝を見つけることができる。

それは、その確信を私に教えてくれたできごとでもあったのです。


 もう、思い残すことはない私の目からこぼれてきた涙は、 

「幸せ」の涙でした。


以上が、私の方からの「幸せ論」のすべて。


なにか、中途半端なようでもあるんですが、 これをもって 私の「幸せ論」とさせていただきます。

そう、 そこに終わりはないんです。 これは出発点ですよ。

あなたも、もう、 一点の光は宿っています。

解らなくていいんです。 

宿っていると思います。

前に歩き出してください。  私も進みつづけます。


今日は、以上です。






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