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2019年02月03日03:21

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「坂の上の雲」に書かれているように、乃木大将は無能ではなかった。


乃木大将が無能でなかったということは、既に僕のマイミクで日本軍の歴史に詳しい方々ならよくわかっていることだと思いますが、一応、日記に書いておきます。この記事もかつて他のブログに書いたものです。

司馬遼太郎の書いた「坂の上の雲」と映画「二百三高地」では、第3軍による第1次総攻撃の前に海軍から使節が来て、
「海軍としては、別に、旅順要塞を完全に破壊して欲しいと頼んでいるのではなく、旅順港内の旅順艦隊を重砲で撃破してくれれば充分なのです。ですから、例えば、この防備の薄い二百三高地を占領して、その山越えに重砲で港内の旅順艦隊を沈めるというのはいかがでしょうか?」
と打診する。それに対して伊地知参謀長は、
「二百三高地など、あんな丘の上に何分立っていれられると思うんだ!?本要塞からの集中砲火を浴びて、木っ端微塵に砕け散るに決まっているだろう!」
と声を荒げて答えたという。軍司令官の乃木も頷いているだけだった。

司馬の「坂の上の雲」と映画「二百三高地」ではこのシーンを描き、
「最初から防備の薄い二百三高地を攻めずに、二龍山、東鶏冠山などの本要塞に対して、歩兵の銃剣突撃を行なったことが愚の骨頂だ」
と切り捨てている。だが、果たして本当にそうだろうか?

伊地知参謀長が言っていたことは、実は言うと正論なのである。ロシア軍も本要塞にありとあらゆる大砲を備えており、中には日本軍の28センチ砲を上回る口径の33センチ砲というものが何門かあった。
「本要塞からの集中砲火を浴びて、木っ端微塵に砕け散るに決まっているだろう!」
というのは全くそのとおりだ。だから、第1次攻撃で二百三高地を攻略したとしても、本要塞からのロシア軍の反撃を受けて、1時間も丘の上に立つことは不可能だっただろう。

次に、上の2作品では伊地知参謀長が、
「大砲、重砲の弾がないから要塞の攻撃が出来ない。しけた花火のような砲撃では、とても、巨大な要塞を攻略できない」
と嘆き、それに対して遼陽にいた児玉満州軍総参謀長が、
「弱音ばかり吐いとらんで、弾が無ければ二龍山を一点攻撃するとか工夫すればよいじゃろう。もっと頭を使わんか!」
と反論して、この児玉の意見が正しいというふうに描いている。

しかし、最近の日露戦争に関する書物では、この児玉の意見は全く間違っているとされている。旅順要塞というのは全ての要塞が地下で繋がっており、たとえ、二龍山の頂上に日の丸を立てたとしても、他の要塞からのロシア軍の反撃を受ければ、やはり、撃退されてしまう。よって、全ての堡塁と要塞郡を時間をかけて確実に潰していくしか、旅順要塞の攻略法はなかったと思われる。

第三次総攻撃の前に、児玉大将が旅順に来て、
「せっかく28センチ砲という巨砲が16門もあるのに、あまりにも後方に配置してしまっている。これでは巨砲の威力を充分に活用できない。もっと最前線に近い、高崎山に速やかに28センチ砲を配置し直すように」
と第三軍の参謀たちに命令する。砲兵術に詳しい将校が、
「そのような前に配置しますと、ロシア軍の反撃を受けて重砲が破壊される恐れがあります。28センチ砲が破壊されると、要塞を攻める術がなくなります」
と反論する。児玉は、
「敵が要塞に篭っているから苦労しとるんじゃろう?反撃のために要塞から出てくれれば、これ、幸いというものじゃろう?」
と言って、参謀の意見を否定している。

小説と映画では児玉の意見で重砲を配置換えしたことを絶賛しており、「坂の上の雲」では、
「初めから、28センチ砲を最前線の近くに配置すべきだった。第三軍司令部は臆病だったので、28センチ砲が破壊されるのを恐れて後方に配置してしまった」
などと書いて非難している。だが、これもかなり疑問だ。

一つの例として、第一次大戦のベルダン要塞攻防戦ではドイツ軍は日本軍の28センチ砲を真似て、「ビッグ・バーサ」という愛称の42センチ砲を作った。ベルダン要塞攻防戦でもこの巨砲は投入されたが、初めからあまりにも最前線近くに配置してしまったので、フランス軍の大砲の集中砲火を浴びて、「ビッグ・バーサ」は数日の間に全部が破壊されてしまった。

つまり、日本軍の28センチ砲も初めから最前線近くに配置するのは間違いということになる。それでは、なぜ、28センチ砲が第三次総攻撃の時に破壊されなかったのかというと、第三軍の砲兵隊が慎重にロシア軍の大砲陣地を狙って破壊し、さらに、8月の第一次総攻撃以来ロシア軍もかなり損耗していて、大砲の弾が不足していたからだと思われる。


色々と書いてきたが、つまり、結論から言うと、児玉大将が旅順に来てアドバイスをして、乃木に代わって指揮を執ったから旅順要塞が落ちたのではなく、乃木第三軍司令部だけでも充分に要塞は落とせたというのが、最近の多くの歴史家の意見だ。乃木第三軍が90%ほど要塞を破壊し、児玉がやったのは最後の仕上げだけだろう。児玉の指揮の利点というのは、旅順陥落が10日間ほど早まった程度のことだろう。司馬は、
「児玉が来なければ、絶対に旅順要塞が落ちることはなかった」
と「坂の上の雲」で書いているが、この意見は全くの間違いだ。


最後に、
「乃木第三軍の使命というのは、旅順要塞全部の攻略ではなく、港内のロシア艦隊を砲撃して沈めることではなかったのか?なぜ、第三軍は本要塞の攻略に拘ったのか?これが、死傷者6万人という大損害に繋がったのではないか?」
という、よくある乃木第三軍批判に反論しておこう。

日露戦争が始まった当時、世界の多くの国の政治家、軍人は、
「ロシア帝国が勝つに決まっている。日本軍がどんなに勇敢に戦っても、白人の軍隊に有色人種の軍隊が勝てるワケがない。朝鮮半島も日本も、ロシア帝国の植民地になるのは時間の問題だ」
などと判断していた。

このような世界情勢のため、日本政府が戦争継続のために国債を発行しても、どこも引き受け先がないという状況だった。当時、日本と同盟していたイギリス、親日国家だったアメリカの政治家、資本家も、
「我々としては、日本に勝ってもらいたい。だが、旅順要塞を完全に破壊する、クロパトキンの率いるロシア極東軍に大損害を与える、旅順艦隊、ウラジオストック艦隊を全滅させるなどの、目立った大戦果がないと、日本に軍資金を融資することが出来ない。もっと、日本軍に頑張ってもらいたい」
などと言って、日本軍を援助するのに躊躇している有り様だった。

その状況が180度近く劇的に変わったのが、旅順要塞の陥落だった。しかも、降伏会見の記念撮影の時に乃木大将は、
「ステッセル(旅順要塞司令官)大将とその部下を、敗者として馬鹿にしているような記念写真を撮るというのは、“武士道”に反する。ロシア軍将校も日本軍将校と同様に扱い、軍刀を握っていなければならない」
と言い、当時としては極めて異例な、勝者と敗者を同列に扱った写真が撮影された。

当然、この写真は全世界を驚かせた。
「白人の軍人が、有色人種の軍人から情けをかけられている。有色人種も努力をすれば日本軍のように、白人の軍隊に勝つことが出来るのだ」
ということで、世界中の有色人種に勇気を与えたという。さらに、ロシア寄りだったヨーロッパの列強さえも、
「日本軍がロシア軍に勝つだろう」
と考えを変え、日本の国債を引き受けるようになった。


旅順要塞は、やはり、完全に破壊され攻略されなければ、日露戦争での日本軍の勝利はなかっただろう。ということで、乃木第三軍は、そんなに愚かではなかったと自信を持って断言できる。


写真左は、旅順開城会談後の日本軍将校とロシア軍将校の有名な記念写真。右は旅順攻防戦を軍事学的に解説をしている、「『坂の上の雲』ではわからない旅順攻防戦」という本。司馬の第三軍無能論を完全に否定している。
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