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2019年01月29日12:55

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証しよう!

「神がして下さったことを証しよう!」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/1/29(火)【1378】」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19590 (写真入り記事)

私の父の家系は、1000年間続く神社の神主の家系です。血筋から言えば、父も私も神主をしていたはずです。しかし、神によって歴史が動きました。父が高校生の時、受験勉強に集中するために蓄膿症の手術を受けました。医師は手術に失敗しました。脳にまでメスを刺してしまったのです。父はくも膜下出血し、左半身不随となりました。人生に悩みながらも、一年遅れて、青山学院大学に入学しました。大学生になっても、不自由な体を引きずりながら、人生に思い悩んでいました。そんなある日、聖書研究会のサークルに入って、そこでイエス様を知りました。教会に導かれて、クリスチャンになりました。その後、教会の牧師の娘である母と結婚をし、私が生まれました。神主の資格は親戚に譲って、次々に親戚がクリスチャンになりました。それは、無理やり伝道したのではないのです。父の姿を見て、「神様がおられる」と感じて、信仰を持つようになったのです。神は、聖書に書かれている通りに、万事を益に変えて下さるお方です。『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ8:28)神様は良いお方です。しかし、それを悟ったのは、だいぶ後になってからでした。父の手術を失敗させた医師は、術後管理もずさんで、「家に帰って、頭を冷やして安静にしておきなさい」とだけ言って家に帰したそうです。私の祖父にあたる父の父は、その手術の失敗に心を痛めたそうですが、同時に、何も求めないで許したそうです。神主になるような人は、人格が練られているのでしょうか。祖父は、癌になり、若くして天に召されましたが、その病床においてイエス様を信じ、クリスチャンになりました。失敗した医師は、その後、都議会議員になりました。父は、その医師と再会して握手を交わしたそうです。父に対して、「そんなお人好しでバカだな」と思っていました。しかし、私がクリスチャンになり、献身して神学校に行き、牧師になって気づきました。もし、父がこのような目に遭わなかったとしたら、父も、祖父も、そして、その親族もクリスチャンにはなっていなかったからです。そして、私も生まれて来ませんでした。神様は、大きなマイナスを大きなプラスに変えて下さいました。

伝道とは、神様がして下さった良いことを証することです。自慢することでも、誇張することでもなく、そのまま、神様がして下さったことを真っ直ぐに語ることです。ある人は、劇的な体験がなければ証ができないと思っている人がいます。確かに、ヤクザや犯罪者、テロリストや極悪人などがクリスチャンになったというのは、素晴らしい証です。しかし、それと負けず劣らず、あなたのありのままの証は人の心を打つのです。劇的な証は、「すごい!」と人を驚かせますが、普通の人がクリスチャンになった証は、「私も同じだよ」と、「うん」「うん」「うん」と、共感しながら聞けるのです。証には優劣はありません。大切なことは、神様がして下さった事を脚色しないで語ることです。時々、証が、信仰的自慢話になってしまうことがあります。悪かった人は、自分がどれだけ悪いことをしたかを自慢したり、成功したら、証と称しながら、その成功を自分の手柄にしてしまうことがあります。それはダメです。証とは、自分を語ることではなく、自分を語りながらも、その背後におられる神を語ることなのです。そして、神に栄光を帰することなのです。それがされていないためなのか、超教派でいろいろなクリスチャンに会いますが、人の話ばかりする人がいます。人の話をしたら悪いというのではなく、神やイエス様の話は一切出て来ないのです。誰か特定の人を持ち上げて、あるいは、引きずり降ろすことは、この世の中で行なわれていることと同じです。神様とイエス様一方だけを高く掲げ、その方のもとで愛し合い、支え合い、励まし合っていくのがクリスチャンの交わりです。そこに天国の前味を味わうことが出来、いやされ、慰められ、励まされるのです。私が関わっている路傍伝道ネットワークでは、そのことを大切にしています。ともに、神様がして下さった良いことに感謝をし、喜び、それを証し、伝えていきたいですね。
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