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2018年11月27日22:18

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コラム790:俳の世界

あまり公言していませんが、私は「俳句」を考えることが好きです。決して公開することはありませんが、日々、俳句を作っています。
 
私の場合、俳句を作る意図としては、文章を作成する際に、まずテーマを決めて、そのキーワードとなる部分を俳句(5・7・5のリズム)に当てはめて覚えてしまうようにしていて、これだと、単語を覚えるよりもリズムとして覚えることができる為、結果的に文章を組み立てる際の意図を忘れにくくするためです。皆様も歴史を学んだ際に「良い国作ろう鎌倉幕府」のリズムで言葉を覚えた記憶があるかと思いますが、私の場合もそんなイメージで文章の骨組みを覚えています。
  
特にメモを取りにくい外出先や車の運転中などに閃いた言葉は、即興で俳句を作って覚えるようにしています。
 
 
松尾芭蕉
「五月雨を 集めて早し 最上川」
「六月や 峰に雲置く 嵐山」
 
正岡子規
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
「古家や 奈良の都の 青簾」
 
松尾芭蕉や正岡子規は訪れた先々で句を多く残していますが、その句だけで、いつどこで何を経験したかが理解できます。これらの句はきっと、後世に残すためではなく、私と同様に自身の記憶を強く残すために行なったのではないかと思うのです。
 
私が組み立てる俳句の基本形としては・・・
「(いつ)誰が・(いつ)何が(5)」
「(いつ)何を経験したか(7)」
「どう思ったか・何を残したか(5)」
 ※基本的に「いつ」の部分は季語が入ります。
 
私は俳句に浸っている時間を「俳の世界」と呼んでおり、それは自分視点に加えて他者視点(客観的視点)でものを考える時間という捉え方をしています。
 
長きに渡り文章を書いていると、「自分ならこう思う」という表現はいささか長くなりがちです。これは例外なく皆様にも当てはまるはずです。
 
例えば、病気を患って病院で先生に症状を説明する際、「どれだけ大変か」ということを長々と説明したりする場合がありますが、これを家族が代わりに説明するとなると、言葉自体は恐らく半分以下になるはずです。料理のレポーターなども、「美味しさ」を表現するために様々な形容詞を付け加えたりしますが、これも他人が代弁すると「美味しかった」の一言で終ります。私たちは感情があるために、その溢れんばかりの感情を全部表現してしまうと、却って何が何だか分からないと他人から思われてしまいます。
 
俳句は溢れんばかりの感情を短い言葉で表現することが求められます。私が思う俳句の極意は、「いかに客観的な目で物事を見られるか」という一点に尽きると思っています。これが私の表現している「俳の世界」であり、「俳の精神」です。
 
 
千代女(加賀千代女)
「朝顔に つるべ取られて もらい水」
 
私はこの句が非常に好きですが、それは「朝顔」が擬人化されている点であり、「朝顔」の視点から発せられたメッセージとして成立しているからで、このような句が俳句としての理想形だと思えるからです。
 
「俳」という言葉は、「人」と「非」から構成されています。「非」という言葉は、互いに背を向け合った形を指しており、故に「(意図的に)道を踏み外す=背く」という意味になります。「俳優」という言葉も、自分の個性に背を向け、別の人格として表現することでも理解できるように、「俳の精神」とは、自分だけの視点に留まらず、客観的な視点をも持ち合わせている表現方法だと言えます。
 
人間は理性や知性を駆使して、意図的に「俳の世界・俳の精神」に至ることができ、人間らしい魅力の創出はこの世界を存分に堪能できるかどうかに尽きます。
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