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2018年09月16日11:40

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おでかけ、かわごえ、そのさき

さて、えらく遅くなりましたがマイミク様方と川越方面まで行った時のことを書いてみます。

過ぐる五月の二六日にマイミク様に招かれて川越まで行ってきました。
厳密にいうと、川越から自動車で行ったところになります。

ただ、最初に待ち合わせたのが川越駅の近くなので、まあ川越から始まりと言うことで良いかと考えて題名にしました。
川越は、小江戸と呼ばれ街道筋に広がった街並みが、交通の要所として栄えました。

そして現代になって、そのまちなみを残していこうと言うことになり、街道筋の古い建物が今も残っていて往時を伝えています。
今回は、車窓からすこし眺めていくと言う今までと違う感じで見ることができました。

窓越しですが、川越の「時の鐘」を見たりすることもできました。
そのあたり、また観に行きたいと思っています。
さてマイミク様の運転される自動車に揺られてしばらく、市街地から離れた静かな地域で車が止まりました。
同行されている方によると、この近くに「仮面ライダー剣」にゆかりのあるお店があるんそうです。

非舗装の道を歩き、そびえたつ木々の中を通り抜けていくと、しばらくして写真のお店が見えてきました。
キッチンカフェ「くらんぼん」と言うところです。

「仮面ライダー剣」で、カマキリをモデルにした仮面ライダー、カリスが拠点にしていたお店ですね。
作中での店名は、「ハカランダ」だそうですが、マイミク様の説明によると内装などそのままなんだそうです。
「剣」は、登場人物の滑舌とかネタになってますが、ライダーとしていろいろ挑戦的な面も多くありました。

多くの「ライダー」作品で最初の敵だったクモ(あとは、コウモリですね。ちなみにコウモリのライダーと言うと「龍騎」のナイトとかいます)がライダーになっていたり、何と言うか寂しい結末になっていたり。
あ、でも石ノ森先生のマンガ版仮面ライダーも、はっきり言ってハッピーエンドとほど遠い(というか、石ノ森先生の描くヒーローで幸せな結末になったキャラクターって少ない気がします)から、確かに「仮面ライダー」の系譜につながっている気がします。

ともあれ、そうした作品のことをマイミク様と少し話しましたり、お金にものすごく困っていた時に助けていただいた話とかしました。
もう八年くらい前になりますが、本当にお世話になりました。

そして注文したパスタは、とても美味で食べごたえがあり「来て良かった」と強く実感できるお店でした。

で、その後に少し離れたところにある遺跡「吉見百穴」と言うところに連れて行ってもらいました。
ここは、明治一七年(一八八四年)くらいから研究がはじまった遺跡で、いろいろ調べられた結果、古墳時代に造られた集合墳墓といわれています。
横向きの穴が山の斜面に沿って多々作られている姿は、なにか不思議な迫力がありまして、しばらく見入っていました。

入場料をマイミク様に払っていただき(ありがとうございます!)、部分的に公開されている中に入ってみました。
古代のお墓と言うだけでなく、この百穴のある岩山の下を掘って、中島飛行機の工場を作る計画もあったりしたそうです。

井戸の水もそうですが、地下と言うのは、だいたい温度が一定だったりします。
だから、夏だと涼しく冬だと温かいんですね。
そのため、弾薬など維持が大変な物資を備蓄しようとしたんじゃないか、という話でした。
ほかにも、関東圏じゃとても珍しい自生するヒカリゴケとか見られるところがあったり「マムシ出没注意」の怖い看板があったり、ちかくにある売店で味のあるオミヤゲがあったり、なかなか濃いめのところでした。
先に書いた明治一七年当時の発掘の様子や、研究者の方の写真など、冗談抜きに博物館級に貴重な写真が展示されていたりしました。

他に、円谷英二さんが特撮を手がけたり三船敏郎さんが出演されたことでも知られる「日本誕生」という映画の撮影の舞台になったりしたそうで、俳優さん達が少しリラックスした姿で撮影に応じている写真もありました。
昭和三四年(一九五九年)に上映された映画ですから、まだ新幹線もできておらず、東京タワーが出来たばっかりの頃ですね。

吉見百穴に敵わんかもしれないけど、ここに映っているひと達もなんというか歴史の証人だよなあ、とかオジサンめいた(まあオジサンですが)こと考えながら眺めたりしました。
また、別のところにあるお店からおみやげを買っていたマイミク様と合流しようと歩いた時、なんだか熱心に説明する声が聞こえてきました。
何だろう? とお店に入ると、地元のみやげ物店の店員さんが吉見百穴について熱心に説明されていたんですね。

もともと、吉見百穴って山肌に埋もれていた部分もあり、長い年月をかけて今のように外に露出して発掘が行われるようになったとか、発見者のひとが当時少壮気鋭の学生さんで、とても熱心に研究されていたとか話してくれました。
中島飛行機の地下工場(もっとも、実働する前に終戦になったらしいです)で、掘削された部分の一部が公開されているものの、いろいろ危険なので制限されているところも多いと教えてもらいました。

何のことない、上に書いてある「温度が一定」とか「弾薬など維持が大変な物資」などは、この店員さんから聞いた話だったりします。
ほかにも、吉見百穴が発掘された当時は、多くの穴に蓋がされていたが、発掘時に外されて持ち去られたとか、副葬品なども見つかってから住居でなく墳墓であると言う説が有力になったとか、それでも発見当時だと色々な議論があったなど教えてもらいました。
このお店にも、発掘当時の貴重な写真がたくさん展示されており、まるで博物館のようでした。
撮影が禁止なので、いろいろ歴史的な写真を眺めながらアタマに刻んでおきました。

吉見百穴の近くにある松山城(ただし、四国にある松山城と混同しないため、こっちだと武蔵松山城とか言ったりします)のことも話してくれましたが、あまり知名度がないと残念がってました。
私が、武蔵松山城って言った時、「良くご存じで」と喜んでいたくらいですし。
こっちの松山城は、戦国時代に扇谷上杉家や、のちに長年にわたって北条家と闘う太田三楽斉資正などにより、壮絶な争奪戦が行われていたそうです。
時代がさがって江戸時代になって、廃城にちかい状態になったので、いまはお城を思わせるものは、あまり残っていないという話でした。

とにかく、この店員さんが恐ろしくいろいろ詳しい方で、地元で長く研究されている方って強いなとか思いました。
それこそ、どこかの博物館の学芸員さながらに様々な話をしてくださり、とても勉強になりました。

で、わきで見ていたマイミク様によると、この店員さんって「若干ルシマさんに近い感じがあった」んだそうです。
じゃあ私も、学芸員の方くらい博識なのかな、そうだと良いなあ……とか思ったり、そうか私ってあんな感じなのかな、とか思いながら吉見百穴をあとにしました。

で、マイミク様の自動車に乗せていただいて、吉見百穴から少し離れたところにあるリサイクル店に行きました。
リサイクル店というか、とにかくごつい品ぞろえと店内で、吸盤のプラモデルやらフィギュアやら山ほど積まれていまして、歩くだけで楽しくなる店構えでした。
ここでは、μ'sのブレードが置いてあったり、FATE、なのは、ヤマト2199シリーズのフィギュアや、Aqoursのキャラクターグッズ、ガンダムやエルガイム、ZOIDSなどのキットも置かれており、もし私がお金持ってたら大変な数の買い物をしていたかもしれません。
買えないなら、別に見なくても良いんじゃ? と言われるかも知れませんが、いやこういう品を観てるだけでも、いろいろ思い出して楽しくなれる人種もいます。

まして私の場合、もはや自慢にもなりませんが「こういう」世界に身を置いてすでに四〇年以上になるので、それなりにキャリアあります。
つまり、色々なことを思い出したり、関連のことを考えたりするんですね。
そうした思索も、また楽しいです。
ま、オッサンの数少ない利点ですね。

楽しくないのは、お財布のなかが大変と言う事実だけです。

もっとも、その事実わすれたらえらいことになりますが。

そのあとは、予定が変更になってカラオケに行きました。
ここでは、マイミク様が追悼の意味をこめて「ターンAターン」を歌っていたり、アイドルのファンとして先輩にあたる方が乃木坂46の曲を歌っていたり、別のマイピク様が「夏色えがおで1,2,Jump!」とか歌っていたりしました。
まあ、私の場合だと相かわらずでした。

手前みそになりますが、私って歌がそれなりに聞ける方だと思います。
少なくともヘタじゃないと思うんですね、だから皆さん聞いて喜んでくれます。
まあ私が歌うのは、「宇宙戦艦ヤマト」とか、「009」の「誰がために」とか、ささきいさお版「銀河鉄道999」とか、JAMProjectの「GONG」とか、「ラムネ&40」の後記OP「めざせ一番!」とか、なんと言うか系統が近い曲が多いから、かもしれません。

この時も、そうした曲をいくつか歌って、喜んでいただきました。

そして、マイミク様が調達された自動車に載せていただいて、川越駅に戻ってきて解散、お礼を言って駅に向かいました。
別のマイミク様と、駅のそばにあったお店のラーメン店に行き(駅のそば なのにラーメンとは、これ如何に……つまんないですね、失礼しました)おいしいラーメンに舌鼓をうったあとで帰ってきました。
四か月(!!)遅れてしまいましたが、なんとか川越(のまわり)に行った話を書くことができました。

お誘いくださったマイミク様に改めて深く御礼申し上げたいです。
ありがとうございました。

しかし、この時ってまだ、六月の地震、七月や八月の恐ろしい暑さ、九月の恐ろしい台風と恐ろしい地震が起きる前だったんですね。

そう考えると、ずいぶん色々おきたんだな、とか思ったりします。
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