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2018年08月10日01:10

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最終的に北斗の拳の話になるの巻

まずはおとといの話。学校のやつと七夕まつりに行ってきたのす。空が暗くなってきた頃、出店の明かりが目立ち始めてめちゃくちゃな人混みの端っこで浴衣の女の子を待つって中々恵まれてる体験してない...?って思ったりTwitterで呟いたりしていた
ほんで久しぶりに金魚すくいというものをやり、私は一匹すくえたのす。最初は川に放そうと思ったけど調べると川に放すのはダメらしいし、下水道に流しても結局は死んじゃうらしい。なら飼ってみるか!と帰りの電車の中で念入りに金魚を飼うにあたり注意すべき点やら飼育環境やらを調べて家に着くとそれを実践したわけなのす。これから何ヶ月、何年生きるかな。名前決めよかな。とか思いつつ。 翌日、名前もつけられてない金魚は水面に浮かんでたのす。出逢って10時間でした。出逢って10時間なのに無性に悲しくなって。埋めようか川に放そうか迷って埋めに行ったけど途中でやめて川に向かって放して2分くらい合掌してたくらい丁寧に供養したくらい。本当に悲しかったのす。

そんで話は今 ちょうど今 部屋に米粒より小っちゃい蜘蛛が出て それをティッシュで潰したところ。ふと金魚のことを思い出したのす。金魚が死んだ時あんな悲しみと罪悪感が出たのにこの蜘蛛殺すのには躊躇なかったなって 違いを考えたとき、1番初めに思ったのは大きさかなぁと(死んだ対象)。でもなんかそれは違う気がして。金魚もちっこいし。最終的な結論は「愛があるか」に落ち着いたのす。金魚には色々調べたり考えたり物を用意する過程で愛(愛着)が生まれてた。生かそう、死なないよう努力しようって思って行動してた。結果死んでしまって悲しみが生まれた。友達のペットが死んでも悲しまない(全くではない、程度がある)けど自分の飼ってたペットが死んだら悲しい。でもそこには全か無じゃなく程度がある。悲しみとかの「ショック」には程度があるって話(ショック大きい〜とかみんな言うし)。蜘蛛はショック小さい、無いようなもんだっけど、金魚はショック大きかった。どっちも命には変わり無いけど、人間、命に対してもそんな感じなんす。

ところで。最近姉貴が北斗の拳見てるんだけど、そこに出てくるサウザーってやつが「愛なんていらん!悲しみを生むだけだ!」的なことを言ってた。結構的を射た発言だよね。
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