【若年層より60代・70代による暴行、傷害が多いのは数値化されている】
キレる高齢者が増加 タクシー会社や鉄道会社がビクビク
https://www.news-postseven.com/archives/20160407_401240.html
病院やスーパーでやりたい放題の高齢者「納豆を1つで売れ!」
https://www.news-postseven.com/archives/20160408_401513.html
〜〜〜記事から抜粋〜〜〜
『実際、私立大学病院医療安全推進連絡会議が11施設に調査したところ(2011年)、患者やその家族から暴力を受けたという職員は4割を超えた。暴力をふるった年齢は70代、セクハラは60代が最も多く、暴言は60代が2番目に多かった。病院の高齢者はやりたい放題なのだ。』
〜〜〜抜粋ココマデ〜〜〜
暴力を振るった年代は70代が一番多く、60代が二番目に多い。
セクハラは60代が一番多く、暴言は60代が二番目に多い。
これが全てですよね。
実際、私が行政やスーパーなどで働いていた時に見た経験から言っても、職員や店員に汚い言葉でギャンギャン怒鳴り、備品や商品を壊すのは大体、高齢者です。
個人的には、その世代はいわゆる団塊世代で、共産主義が流行った世代であり、「デカい声で騒いで相手を黙らせれば勝ち」と考える人が多いのもあるだろうと思います。
【事例を個別に見ていくと、非常に腹ただしいものが多く、こんな連中に福祉のカネを使うのは勿体ないと思う人が出てくるのも不思議ではない】
6歳の子供にポイ捨てを見咎められて「ポイ捨てはダメなのに」と言われた75歳の男が子供の首を絞めた事件とか。
事故を回避するためにやむを得ず急ブレーキをかけたタクシーの運転手に対して、杖で何度も殴りかかってきて運転手に怪我を負わせた事件とか。(しかもこの事件は会社が大事にしたくなかったため被害届を出さず、ドライバーは泣き寝入り)
泥酔して暴れてタクシー内の備品を壊したり。
5000円札を出して、「おつりが違う!1万円出したでしょ!」と騒いでみたり。
中学生から席を譲られたら「年寄り扱いするな!」と怒鳴り散らし、今度は「今時の若い奴は席も譲らないのか!」と怒鳴り散らしたり。(譲っても譲らなくても怒鳴られる中学生が不憫ですよ)
長崎であった事例だと、席を譲る譲らないのトラブルで、高齢者から傘で何度もたたかれて怪我をした中学生もいます。
ICカードの使い方やスマホの使い方が分からず、駅員や携帯ショップの店員に暴力を振るったり。
人と関わる仕事をしていると、こういう高齢者、普通に見ますからね。
【年長者は敬えと言うのは、敬意を払えと言う事ではなく、無用なトラブルを回避する手段。歳を取ればキレやすくなるのは証明されている】
当たり前ですが、人間の身体は歳を取れば劣化します。
それは、人の感情を司る『脳』も同じこと。
歳を取れば、前頭葉が劣化し、感情のコントロールが利かなくなる。
要するに、思い通りにいかないと駄々をこねる子供に戻ってしまうのです。
若いうちは脳が活発なので、想像力が豊かで、冷静にものを考えることができます。
『何故これをしないといけないのか』
『これをするとどうなるのか』
と言う事を考えて先を見据えることができます。
気に入らない事があっても、相手の立場を考えて「納得は出来ないけど仕方ない」と自分に言い聞かせる事も出来ます。
しかし、脳が劣化して感情のコントロールが利かなくなると、それが出来なくなる。
『年長者は敬え』と言うのは、人生経験に敬意をとか後付けの理由は色々あるけど、最大の理由は『おだてて機嫌よくさせて、トラブルを回避せよ』と言う事です。
「いや、しかし」「それは違います」などと否定すると、高齢者は更にヒートアップし、喚き散らし、場合によっては暴力に訴えることもあります。
「そうですね、分かります」「おっしゃる通りです」「私もそう思います」と共感・理解を示し、感情を落ち着かせてやることでトラブルを回避しようと言うテクニックです。
「私はあなたの味方ですよ、あなたの要望をかなえたいと思ってますよ」と言う態度を示し、その上で出来ないことは出来ませんと示す。
子供を相手にするときと同じですよ。
まぁそれでも思い通りにならないと駄々をこねる高齢者もいるけど、あまりにひどい場合は警察の出番ですからね。
いくら精神的には子供と同じと言っても、高齢者は立派な大人ですから、自分の行動には責任が伴います。
それは歳を重ねても関係ない。
暴行、傷害、セクハラなどを働いたら被害者が出るのだから、見過ごされる理由にはならない。
【私は幾つになっても、人の立場を思いやれる人間でありたいと思う】
私は30台半ばなので、記事で出てくる60台、70台の高齢者からすれば、娘のようなものでしょう。
「子供笑うな、来た道だ。年寄り笑うな、行く道だ」と言います。
記事のように数値化されて、データとして出ていることは事実として受け止めて。
その上で、高齢者だから、子供だから、男性だから、女性だからと偏見を持たず、その人個人を見れるように努めたいと思う。
そして何より、人の立場、人の気持ちを思いやれる人間でありたいと思う。
正しい事は正しい、間違ってることは間違ってるとして、根底に「これを言われたらどう思うか」「これをしたら相手はどう感じるか」「何故これをしないといけないのか」と言う事を常に考えていれば、記事のような暴走はしないのではないか、と私は思います。
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