7月中旬に、肺炎による血中酸素濃度低下で3週間入院した叔母(母親の姉、88歳)について……。
退院後は、施設(グループホーム)で在宅医療、具体的には点滴や酸素吸入を受けていたのですが、昨日23日、医師が「在宅医療保険の上限である14日を過ぎたので点滴を中止する」と判断した、との報告がありました。
ようするに、これ以上の治療を望むのであれば再入院が必要だ、という話なのですが、再入院しても、これ以上良くなる見込みはほとんどありません。自力での食事も困難(嚥下の危険)で、呼吸も酸素補給がないと厳しい――という状態は、改善する見込みがないとわけです。医師としては、特別の事情がないのであれば「そろそろこの辺で」という判断をしたわけです。
昨夜は、施設に行って、叔母の様子を見てきましたが、ボクの顔を見たら表情にリアクションがあります。手を動かしてくるので、手を差し出すと、ギュッと握ってきます……。施設の人の話では、時間帯によって反応の良し悪しは変化するそうなので、たまたま元気な時だったのかもしれません。
ただ、手を握ってくる叔母の顔を見ながら、その一方で、死の決断を下すというのは、なんとも割り切れない思いが残ります。
叔母には子供がいなくて、ボクらの家族が一番近い親族になります。死んだ母親も、そんな叔母(姉)のことを常々心配していました。結果的には、母親の方が先に死んでしまいましたが、それも、心残りの一つだったに違いないです。
でも、他の選択肢を選びづらいのも事実。
食事が取れないのであれば、胃ろうという選択肢もあります。ただ、その状態で余命を伸ばすことに何の意味があるのか、という問題があります。
施設の人の話では、点滴を止めれば、脱水症状が進んで、枯れるように息を引き取っていく、とのこと。下手に治療を続けると、かえって本人に苦しい思いをさせる可能性もありうる、と。
まあ、そういうこと。
現代医療では、そこそこ延命ができてしまうがゆえに、逆に誰かが「死なせてやる」という決断をしなければいけくなります。ただ、手を握り返してくる叔母に対して、死の決断をするのは、やはり苦しいし、トラウマになりそうです。
12月に母親が亡くなって、3月にその兄(叔父)が亡くなって、今、姉(叔母)が臨終を迎えようとしています。不慮の事故みたいな死に方をした母親に比べれば、これはこれで、決して悪い最期ではないでしょう。いずれにしても、これで、母親の兄弟は全員、鬼籍に入ることになります。
点滴を止めて……、早くて数日、長くて1週間くらい。
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