ニュースに対するコメントで「引きこもりから自衛隊員になったのは(部屋から出る)努力をしたんだろうし、それは凄いこと」というのを見つけて、その視点は確かに必要だと思った。
加害者が引きこもり続けていれば少なくとも自分たちには無害だった。そして、努力したからこうなってしまったんだと思うと、それは悲しい話だ。
もちろん前提として、無関係の人を殺しちゃったのは良くはない。
でも、それをダメだと言うだけでいいのか。
生きづらい人がそれでも努力して生きて、そして十分な報酬が得られたと感られなければ、いつかはそんな”セカイ”は壊しちゃってもいいと考えるんだろう。
生きている以上はどうしようもなくあふれ出る承認欲求を満たしてくれないセカイと、そんなセカイへの怒り。
人間はそんなとき、簡単に一般的な認識を失って「自分VS自分以外」の袋小路に迷い込んでしまう。
根源的過ぎて対策もない、良いとか悪いとかで片付けられない、ただただ、人間とは理不尽に出来ている、そんな感想しか出てこない。
評価というのはその最中ではなくずっと後、場合によっては忘れた頃に、ようやく付くものだから。
それまで何とか、運よく自殺や他殺のような"セカイ"に対する致命的な行動をしなければ、いろんなことを諦めた後の平和な「自分とセカイ」の関係の中で、もはやどうでもいいかもしれないけど、評価を受け取ることもできる。
ん、とりあえず重くなったので、取ってつけたように「SNSで簡単にイイネとか評価する仕組み」がどうこう、とかテキトウゆって投げっぱなしで終了~。
■事件直前、店長に暴行=島津容疑者、バイト先で注意され−富山交番襲撃
(時事通信社 - 06月27日 18:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5174843
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