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2018年06月11日07:30

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■過去・現在に学び未来を問う「ウルトラ〜日報」<大和国版>

▼きょうは皇紀2678年/西暦2018年/平成30年戊戌(つちのえいぬ)6月(常夏月/水無月/みなづき)11日(月曜日)なりけり。
▼指針:子孫らに明るい未来を・・・。
▼当報は大和人の「コミニケションの場」なりけり。(この項は日替りしております)
▼「いいね」は「御意」「了解」「確認致しました」「ありがとう御座いましたm(__)m」の意なり。
▼耳をすませば聴こえ来るBGM(バックミュウジック)は天空(ウルトラ〜)に向けての「子守唄」でもありけり。
▽今日は瀬川瑛子の「命くれない」https://www.youtube.com/watch?v=9eo74quyZTo

■きょう6/11の大和暦
▼甲戌(キノエイヌ) 八白土星 先勝 入梅(雑節の一つ/露入り)
▼七十二候:腐草為蛍(かれたるくさほたるとなる)(腐った草の下から蛍が生ずる)(6/11〜6/15)
▼きょうの誕生花:ばいも (Fritillaria Thunbergii)
▼花言葉:威厳
▼今月の誕生石: パール(真珠) ムーンストーン(月長石)
▼今月の星座:ふたご座(5/21〜6/21)
▼今月の徳目: 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
▼今夜6/11の「お月さん」
▽きようは「二十九夜月)」新月から29日目です。
▼只今、木星・土星・火星が約1世紀ぶりに地球に相次いで最接近しております。
▽晴れた夜のひととき「約1世紀ぶりの大パロラマ」観賞のチャンスです。
▼きょうのラッキー数字:29。

■きょう6/11の過去の出来事(地球版)
▲パリ〜ボルドーで初の自動車レース(1895)
■きょう6/11の過去の出来事(大和国版)
▲平清盛が法華経10巻を奉納(1172)
▲江戸城で初の上覧相撲(1791)
▲日本初の銀行「第一国立銀行」設立(1873)
▲榎本健一(エノケン)が日劇に初進出(1938)
▲日本初の海底トンネル「関門」下り線が開通(1942)
▲田中角栄の「日本列島改造論」出版(1972)

■現在2018年(平成30年)の 地球の主たる行事&出来事
▼6/7 日米首脳会談(米ホワイトハウス)(大和時間6/8)
▼6/8 「G7」首脳会議(カナダ)
▼6/10 正恩氏がシンガポール到着
▼6/12 米朝首脳会談(午前10時、シンガポールセントーサ島)

■現在2018年(平成30年) の大和国の主たる行事&出来事
▼6/10 大型台風に発達5号が大東島地方に接近し東海や関東を中心に大雨の恐れ。
▼6/11 藤井高博12回忌。
▼6/17 父の日。
    安田正吉19回忌。
▼6/18 海外移住の日。
▼6/21 夏至。

■来年度(2019年/平成31年)の出来事&皇室行事。
▼毎/土曜日に掲載しております。

■ウルトラ〜が説く「未来(2020年度以降)の出来事&予言」
▼毎/日曜日に掲載しております。

■善徳院の「きょう6/11を読む(ぼやき)」
▼きのう北の太っちょ(北朝鮮労働党委員長)が「米朝首脳会談」を前にして自からの専用機を使わずシナ国際航空機で堂々とシンガポール入りしていた。どんな思惑があるのか、また結果が如何になるのかはイザ知らず、今じゃ「世界のヒーロー」と言っても決して過言ではない。大したものである。「しきしまの大和心をヒト問はば わが大和国は 刺し身のツマにも なり得ていないなりけり 涙」

■きょう6/11の「素読」
▼蓮沼の 緑の皿はウルトラ〜の神が 地の神に御食事をさしあげるときのモノなり
▽意味は深く考えなくて結構です。声を出して読むだけで脳の機能を高めます。長文は2〜3回。短文は3〜4回ぐらい早口で朗読下さい。

■善徳院のきのう6/10の「エンディングノート」
▼辞世の句「しき嶋のやまとごころをヒト問わば ウルトラ〜の空の星の花々」
<きょうの申し伝べきこと>
▼善徳院翁のヒト卒業の日は「悲しい日」では無い「卒業祝いの慶びの日」なり。

■必見!ウルトラ〜への掲示板!! 
▼先ずは御一見あれ!!
http://www.21style.jp/bbs/tegami/index.html

■「過去の日報」の閲覧は下記クリック下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963385067&owner_id=23115958

■「実録/善徳院英雄(旧名/はなぶさが行く)」
其の九 首都圏進出の序章。
▼隣の満期風呂が「ボクさんと仲ようさせて貰ってます」と囁くように言いよった。「ボク」とは、小西一家の舎弟になったばかりの尼崎の「清水のおっさん」とこの「しゃぶ屋」だった。「オレ、あした東京押送やねん。ボクに言うといてくれ」と同じく囁やいた。その翌日か翌々日だったか、押送の刑務官が後ろをキョロキョロ気にしだした。どうやら「ボク」から鳩が飛んだらしく、明石駅のホームに英(はなぶさ)組員が15〜6人が散らばっていた。一緒に上京する雰囲気である。まだ携帯電話など便利なものがなかった時代の話である。押送員は「中止」すべきか迷っていた。そこで五郎が「ご苦労さん!オマエら、ここで返れ!!」と宣もうたものである。以後、五郎の押送には「保安課長」が直々に付くようになったのは有名な話である。<明日に続く>
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