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2018年04月22日14:05

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才能はあるんだなあ・・で、どう売っていくのか

秋元氏、小室氏他・・才能あふれる先人は多数。大滝詠一、山下達郎、ユーミン、竹内まりや、すでに伝説になった方も、現役も、才能あふれるアーテイストは多い。それぞれにカラーがある。

平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【第1回】川谷絵音「あのことを美しい経験にしたくない」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=141&from=diary&id=5080721平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【第1回】川谷絵音「あのことを美しい経験にしたくない」 559
2018年04月21日 15:21 週プレNEWS

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週プレNEWS
写真平成30年に30歳というメモリアルな“ゴールデンエイジ”企画の第1弾は、ゲスの極み乙女。などで活躍する川谷絵音さん
平成30年に30歳というメモリアルな“ゴールデンエイジ”企画の第1弾は、ゲスの極み乙女。などで活躍する川谷絵音さん
昭和から年号が変わった1989年に誕生した子どもたちは今年、平成30年に30歳を迎えるーーその“黄金世代”の半生とともにこの時代を振り返るシリ−ズ連載企画。



今週はインタビュー第1回となるトップバッター、ゲスの極み乙女。のヴォーカル・川谷絵音の後編だ。



次々とキャッチーな曲を作り出すヒットメーカーだが、その人生のピークは「8歳かなぁ…」と前編で語った川谷。その後、鬱屈とした地元・長崎から大学入学を機に上京し、バンド結成、メジャーデビューまでを淡々と明かした。



そして、バラエティ番組で披露する“単語をお題に”驚異的な早さで生み出される曲作りの真意、さらに30歳までのカウントダウンが始まった今の気持ちとは…。



***



ゲスの極み乙女。(以下、ゲス)、indigo la End(以下、indigo)と、他にふたつのバンドで計4バンドに関わる川谷。8歳を頂点にして以降、自身の人生は下降線を描き、前回では「生き甲斐」とまで言ったバンドでメジャーデビュー後も、人生が上昇することはなかった。



ここで疑問に思うことがある。そもそもアーティストになろうと目指していたのか?



「ないです。ずっと誰にも言えなかった鬱屈した思いを抱えていた時に『大きい音で演奏するのがいいな』と、それだけの理由で大学で軽音部に入って」



しかし、音楽に興味がなければ入ろうとも思わないはず。音楽との接点はいつだったのだろう…。



「基本、ハマらない性格だけど…音楽だけはずっと聴いてました」



持ち続けていた赤ペンを右手に、スッと顔を上げて言った。音楽だけが、どんな時も彼に寄り添っていたのだ。



「父親が好きだったから、車に乗るといつもサザンオールスターズを聴いていたのが最初かなぁ。自分で聴き始めたのは、TM Revolutionさんの…確か『HOT LIMIT』ですね。ちょうど暗くなり始めた小学校3年の頃からサッカーで忙しくなる小学校6年生までの間、オリコンチャートの1位から10位までのCDを毎週、全部借りて聴いてました」



シングルで40曲、カップリングも含めると1ヵ月でおおよそ80曲を聴いていた計算になる。



「この頃、吸収力がすごくて、好き嫌いなく売れている曲、全部がいいなって感じでしたね。好きだったのは、TM Revolutionさん、スピッツさん、L‘Arc〜en〜Cielさん、モーニング娘。さん…」



アイドルまで? ちょっと意外だ。



「めちゃくちゃ聴いてましたよ。あと、父が好きだったので井上陽水さん、父と兄の影響でMr.Childrenさんも」



ただし、その類(たぐい)まれなる曲作りの源はこれだけで作られたものではない。



「14歳までに聴いた音楽が濃い影響を与えるという研究結果が発表されたのを読んだんですよ。これを考慮すると、俺が聴いてた音楽はヒットチャートなので、キャッチーなメロディセンスに寄与しているかもしれないと思います。



なんですけど、作詞作曲は誰でもできると思ってるんですよ。元々、(周りに対して)“なんでできないのかな”という疑問だらけだったんです、人生。なんでもやろうと思えばできるけど、できるまでやったことなければ、できる可能性もわからないじゃないですか。俺は、音楽をやったから今できたってだけ。やろうと思えばできる人、たくさんいるんだろうなと思いますよ」



事もなげに「みんなできる」と言うが、例えば、メジャーデビューした14年。ゲス、indigoを合わせて、ミニアルバムを2枚、シングルを3枚、フルアルバム1枚をリリース。バンドにより異なるメロディや歌詞の世界観がバラエティに富む、計33曲を作詞作曲し発表している。



「クオリティ云々を考えなければ、いくらでも作れるんじゃないですかね。1年は365日ありますから。1日1曲作れば、365日になるわけじゃないですか」



その理論でいえば、1年で33曲ならば、11日で1曲を作詞作曲すればいい。とはいえ、複数のバンドの異なる楽曲を作ることに対して、混乱はないのか?



「俺、すごくスイッチの切り替えが早いんで。曲を作る時はちゃんとやる。パッと集中したらもう終わりで、別のことをやりたくなっちゃうんですよ。アウトプットしたいことがいっぱいあるというか、自分の中で足りてない。



ひとつ何かやっている間に、もう次のことをやりたくなるから、基本的に人と話している時も、曲作り中も他のことを考えてますしね。だけど、基本は怠惰な人間なんで、家ではグータラ。必要な時に、やることをやっているだけです」



インタビュー中、「晩ごはんのことと、この後のラジオで何話そうかなって」を考えていたという川谷は、さらに自分の内面の説明を続けた。



「マグロが泳いでないと死ぬのと同じで…って、俺は止まっても死なないと思うけど、いろんな物事を経て、3つくらいのことを同時に考えて、それぞれが少しずつかぶって次のことを始めていくのが、俺自身が生きていくのにもっとも効率がいいんですよ。



例えば、集中力が0〜100%とするじゃないですか。ひとつのことに100%の集中力を向けていたら、他のことは0%ですよね。だけど、そのひとつのことに向ける集中力がだんだん減って80%になったら、20%は別のことを考える。俺の頭の中ってそんな感じで、本当に常にいろんなことを考えてますね」



なかなか凡人には難しいことをやってのける。だからなのか、最初にインディーズでバンドを組んだindigoはメンバーチェンジが多く、現在7期になるが、結成当初からメンバー間の軋轢(あつれき)は多かったようだ。



「俺のやり方でやってたら、メンバーがどんどん辞めていっちゃって。俺のペースって、他の人の100倍くらいの早さなんで、だいたい周りがついてこれなくなる。というか、早く動いているつもりがないんですけど」



周りが思うこともなんとなく想像つくが、とにもかくにも結成初期から不協和音を奏でながらも、indigoにCDリリースの話が持ち上がる。



「でも、もうムリかもと思って。大学院も面倒になって前期で通わなくなっていたら、推薦で入ったクセにと周りに言われ始めたんですよ。俺が頑張った結果だから、おまえらに言われる筋合いないって思っていたから、どんどん尖(とが)っていくばかりで」



彼はペンを軽く握った手を、あごの近くに置きながら言葉を続ける。



「その頃は会う人すべてに攻撃的な態度をとっていました。自分しか信用をしてなかったんです」



バンドも学業も八方塞がりの23歳。このタイミングで出会い、バンドを組んだのがゲスのメンバーだった。



「気楽にできるバンドをやりたいと思って、適当に始めました。“ゲスの極み乙女。”って名前の由来も、ちゃんMARI(キーボード)の美大生の友だち達が作ったバッグにプリントされた言葉そのままだし、メンバーの名前も俺が適当につけて。それが、うまくいって…。肩に力入ってるもんはダメなんだなぁ、仕事になるかもと思って、ちゃんとやるようになったんですよ。



うまくいった要因? メンバーお互いがリスペクトし合ってからでしょうね。その頃から俺も少し刺々しさが抜けて、バンドっていいなぁーって。そうしたらindigoもちょっとずつ変わって、いいように転んでいったんですよね」







バンドとともに人生を変化させてきた川谷。大学院は当初「辞める勇気がなかった」ため休学していたが、ついに自主退学を決めてバンド一本の活動に入る。

「最初は自分の作った歌詞を歌うこと自体が恥ずかしくて。indigoの初期はワケわかんない言語の歌詞でライブもしてたんですけど、今考えればそっちのほうが恥ずかしい(笑)」



歌詞は当初、indigoが失恋、ゲスでは鬱屈した思いが綴(つづ)られていた。



「大学3年生で別れた彼女のことを歌詞にするしか原体験がなかったんです。それか、バカにしてきた人を見返すくらい。だからindigoに失恋の曲ばかり並ぶ要因になって、ゲスは鬱屈した思いの吐き出し場。結果的にその違いがバンドのカラーになったんですが、境界線がだんだん曖昧(あいまい)になった時期もありました」



境界線がクリアであろうと曖昧であろうとも、同世代の心を代弁しているかのような彼が作る楽曲はファンを拡大し、メジャーシーンをけん引するバンドとなった。デビューした翌年には『私以外私じゃないの』で紅白歌合戦出場。



さらに飛躍する勢いを得たところで、“あの騒動”だ。熱愛発覚と同時に既婚者だったことも詳(つまび)らかになり、その最中、ゲスの2ndアルバム『両成敗』をリリース。



「途中から心を閉ざしてましたね、全てのことに。あのタイミングって、週刊誌史上なかったくらい盛り上がりがフルフルだったと思うんです。同じようなことになった人は他にもいるでしょうけど、あのことを受けたのは自分しかいない」



だから、淡いブルーのオーバーサイズのジャケットで半分隠された細い指。その指で握った赤ペンが描いたグラフは、なぜ平坦な線を描けたのか? 心を閉ざした時間を経てわかったことがあるようだ。



「良いか悪いかでいえば悪いことなんだけど、できない経験をしたんだなと。でも、それを今、クヨクヨ考えても仕方ないというか。経たからわかることもあったんで…。



今、思うこと? これを美しい経験にしたくない、ですね。職業柄、糧(かて)になる出来事でしょうけど、美化するのとは違うなと最近気づいたっていうか。過去が美しいわけじゃなくて、もっと自分の奥底にある美しさを出すべきだなと。自分にできることがあるはずだと、今、見つめ直している期間かもしれません」



見つめ直すことになった、20代最後の1年。だからこそ、何を思うのか?



「だんだん歳をとるのが怖くなるというか。このまま老いていくんだろうなって。でも、世界が広くなったら、年齢とか関係ない価値観を得られるんじゃないかなと思っています。価値観を変えない人間がツマンナイ人間なんで。



例えば、俺なんて腐るほど悪口を言われて心を閉ざしたけど、『今は心を閉ざすことをもったいない』に変わってきたんですよ。本来はマイナスな考えをする人間だけど、マイナスに考えることをリスクヘッジと捉えて“自分のよさだ”と考えて。ガンガンいかないけど、プラスに考えるようにする。で、今、見えていない何かを見つけて、見ていきたいんですよね」



自身の内面を見つめ、考える力をもって変化を遂げる。その先にあるアーティストとして、彼が表現していきたいことーーそれは、おそらく昨日の自分を今日の自分が超え続けることだ。



「今は30歳になったら、『あ、よかったな』と思える曲を作っていたいです。実はもう自分では作れたなと思うんですけど、それは今の時点での俺。30歳になるまで、今の俺を簡単に超えるかもしれないじゃないですか」



28歳からほんの少しだけ上り調子になったグラフを書いた赤ペンは、「ありがとうございました」という言葉とともに、やっと川谷の手から離れた。



(取材・文/渡邉裕美 撮影/鈴木大喜)

■川谷絵音(ENON KAWATANI)
1988年12月3日生まれ、長崎県出身。ヴォーカル、ギタリスト、作詞作曲家、プロデューサーとして活躍する。indigo la END、ゲスの極み乙女。(ヴォーカル、ギタリスト、作詞作曲)、DARARAY(楽曲提供・プロデュース)、ジェニーハイ(ギター・作詞作曲・プロデュース)、ギタリストichika率いるInstrumental Band、ichikoro(読み:イチコロ:ギター)と計5バンドに参加。ジェニーハイのデビュー曲「片目で異常に恋してる」配信中。6月22日ゲスの極み乙女。ワンマンライブ「乙女は変わる」@NHKホール開催! 詳細は公式HPまで
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