中学校の文集で、将来の夢を書くコーナーがあったが、普通の人に
なりたいと書いた人が何人かいた。何の問題もない普通の人が書いた
なら、考えるのが面倒臭かったのかなとか、人生にもっと楽しみを
期待するのがいいのではないかと思ってしまう。
知的障害を持っていて苛められた経験がある人が、普通の人になりたいと
書いたとなると、それはそうなんだろうなと頷ける。もし知的障害がなければ
苛められなかったかもしれないから、普通が一番幸せだと考えてしまうかも
しれない。その人にとっては、それはとても切実な願いだろうから、こんな
夢でいいのかなんて馬鹿にするわけにもいかない。
僕はADHDっぽいところがあり、おっちょこちょいだし、衝動的に動く時も
あるし、忘れっぽいしで、職場では扱いにくいと思われているのだろう。
おそらくそれで、激しく嫌われるとか、僕にだけはまともに雑談をして
くれないとか、過去に実際にあった。もし、僕がもう少し普通に振る
舞えたら、仕事の評価が上がったり、みんなともっとコミが図りやすくなる
のかあと考えると、普通の人に憧れる事は過去に何度もあった。なので、
何かしらの障害で悩んでいる方が、普通の人になりたいと書く気持ちはよく
分かる。
日本は、まだまだ普通のレールから外れた人にとっては、厳しい社会だと
思う。相変わらず、いじめも差別も多いが、みんな違ってみんないいという
考えを持って、みんなが生活すれば、この現状も多少は変わるのかしらと
期待している。何かしらの障害を持った方が、普通の人でないからという
コンプレックスから解放され、もっと素敵な夢を抱けるような社会になって
ほしいと切実に願う。
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