■あなたは「入社初日」のことを覚えていますか?
(TOKYO FM + - 02月28日 12:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5006406忘れようと思っても忘れられませんよ。
昭和4〇年、新卒23歳で大阪府立S高校に教諭として配属されて、
4月1日に学校に行ったとき、いきなり3年生の担任を告げられました。
府下有数の底辺校で、生徒はもう充分に荒れ狂っている学校。
非行のスーパーマーケットと言われるこの学校でも、
とりわけ僕が担任したのは学年で最低の「アホクラス」
と呼ばれているほどのDEEPな魔境。
というのも、2年生まで担任をしていた国語の女性教師が放り出したためで、
彼女は生徒の学力不足を、生徒の資質と家庭のレベルだと公言する、
教師としていちばんふさわしくない人物でした。
そこは日教組の拠点校であり、組合が人事権を握っていて、
誰一人持ちたがらないこのクラスを新任に押し付けるという、
こんな無茶な人事が行われていたのです。
校長・教頭などは、事実上何の発言権もなく、
職員会議の決定を追認するだけのロボット。
校長室に呼ばれた僕は
「まぁ、若いねんから苦労するやろけど精一杯やって」
と言われただけでした。
しかし振り返ってみれば、これは多分に僕にも責任はあったのですね。
教員採用試験で、数学、理科はひどかったと思いますが、
国語、社会はかなりの好成績、専門の英語では満点の自信はありました。
実際「なんや、こんなもんか」という印象でしたから。
その上、面接では長時間、日本の英語教育の在り方を滔々と弁じ、
おまけに面接の終わりに「僕を落としたら大阪教育の損失ですよ」
とまで付け加えたのですから、面接官はさぞカチンと来たんでしょうな。
誰でも「この思い上がった奴を痛い目に…」と思うじゃないですか。
クソ生意気な新人に対する一種の「報復人事」でした。
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