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2017年08月22日14:13

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橋本以行艦長とマクベイ艦長

人間魚雷「回天」搭載潜水艦の調査を生中継
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=4709627



橋本 以行(はしもと もちつら、1909年(明治42年)10月14日 - 2000年(平成12年)10月25日)は、大日本帝国海軍の軍人、第二復員省および復員庁の事務官。京都市出身。最終階級は海軍中佐。戦後は梅宮大社名誉宮司、大神宮社宮司。


橋本が指揮する『伊号第五十八潜水艦』(以下、『伊58潜』とする)は神潮特別攻撃隊『多聞隊』を乗せ、1945年(昭和20年)7月18日平生基地を出撃しフィリピン東方海域へ向かった[29]。パラオ島北方250カイリ付近を哨戒任務中の7月29日午後11時35分頃、水平線上に敵大型艦らしき物を確認し急速潜航を行い、潜望鏡深度を保ったまま敵艦に近づいて行った。潜望鏡で敵艦艇を戦艦クラスと確認した橋本は、回天搭乗員に出撃命令を下すと共に魚雷戦用意の命令を下した。

橋本は「アイダホ型戦艦撃沈確実」と報告したが、自らが沈めたこの艦が『インディアナポリス』であったこと、そしてその艦が広島・長崎に投下された原子爆弾をテニアン島に輸送したのちに、レイテ島に移動中だった事を知ったのは戦後のことであった。

これは橋本の「唯一の戦果」とも言われており、日本海軍最後の大戦果とも言われている。また、一説によればインディアナポリスは5分で沈んだとも云われる。インディアナポリスはSOSを一回打信した直後に電気系が水没、アメリカ海軍はたった一回のSOSを受信しながら組織内の齟齬により司令部に連絡が伝わらず、インディアナポリス乗組員は悲惨な漂流を強いられた。

アメリカ軍側は、インディアナポリスが潜水艦による魚雷攻撃で撃沈されたという事実を確認すると、原爆の輸送情報が事前に日本軍側に漏洩していたのではないかと疑い、戦後橋本に対しアメリカにまで呼んで数日間に渡り尋問を行ったとも言われている。しかしインディアナポリス撃沈は全くの偶然であった。米海軍は「適切なジグザグ運動をしていたら、インディアナポリスの撃沈は防げた」と考え、状況確認を行ったが、橋本は「あの位置関係ならばジグザグ運動をしていても撃沈できた」と証言している。またこの尋問は、正常な情報管理があったら、より早くインディアナポリスの沈没を知ることができ、584名もの兵士が死ぬことは無かった。その罪をインディアナポリスの艦長であったチャールズ・B・マクベイ3世に全責任を負わせるために、橋本以行に「インディアナポリスが適切な回避行動をとっていたら、撃沈できなかった」と証言させたいが為に、わざわざアメリカにまで呼んで証言させたと言われ、実際に橋本に対する尋問内容もこの説の内容に沿ったものになっている[31]。結局、予備尋問のみで橋本は帰国し、マクベイは有罪判決を受けて自殺に追い込まれた。

橋本自身は、マクベイの名誉回復に最も熱心だったと言われている。アメリカでマクベイの名誉回復の動きが始まったことを日本のジャーナリストから知らされたのを受け、1999年11月に上院軍事委員会委員長のジョン・ウォーナーへ電子メールを送り、マクベイの名誉回復を訴えている[32]。しかし、マクベイの名誉が回復されたのは橋本が亡くなった五日後(2000年10月30日)のことであった。

数奇な運命を感じる。丁度[パシフィック・ウォー観てるところだった]

戦火を交えた2艦が、同時期に発見される瞬間に立ち会える事に感謝。
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