今夜(26日)、NHK「ニュースウォッチ9」を見てたら、「孤独のすすめ」を刊行した五木寛之のインタビューをやっていた。母親もここ数年は孤独感を感じていたので、そんなことを意識しながら、番組を視聴しました。
ところが、これがとんでもなく中身のない内容。
ボクは以前から五木寛之という作家を評価していなかったので、意外ではないですが、「孤独を受け入れて楽しめ」とか「人生は登山だけでなく下山も大事」というような、綺麗ごとや、お題目を繰り返しているだけで、深い洞察みたいなものは皆無でした。
Amazonで「孤独のすすめ」の読者レビューを見たら、文句を言っている人が多数いたので、不満に感じる人はボクだけではないようです。フォーク・クルセダーズに「青年は荒野をめざす」という曲があり、作詞は五木寛之ですが、面白いのはタイトルだけで、歌詞の中身は面白くもなんともないのを連想してしまいました。
ええかっこしいの五木寛之に比べたら、先日の橋田壽賀子は、身勝手で傍若無人な分だけ、高齢者の本音を代弁できていると思います。
母親は「朝起きたら死んでいるのがいい」と言っていましたが、ボクはその理由について、12/22の日記で、以下の3つをあげています。
(1) 苦しみたくない。怖い思いをしたくない。
(2) 長期の闘病で家族に迷惑をかけたくない。
(3) 自宅で死にたい。
しかし、橋田壽賀子の話を聞いて、4番目の理由があることに気が付きました。
(4) 自分が死ぬ瞬間を意識するのは怖い。
橋田壽賀子は、薬を飲んで安楽死するVTRを見て、「自分で薬を飲むのは怖くて嫌だ」と言っていたし、「病気で死ぬのが怖いから薬を飲んでいる」とも言っていました。番組では、身勝手だと突っ込まれていましたが、たとえ身勝手であっても「これで最期という瞬間を意識するのが怖い」というのが本音だ、ということはよくわかりました。
母親も、もう死んでもいいと言いながらも、「死ぬのが怖いから生きてるだけ」と言っていたことがありました。今年の夏かそれ以降のことだったと思います。
意識レベルが低かった母親が、どの程度、死の恐怖を感じていたのかはわかりませんが、当時の状況から判断する限り、明確な死の意識がないまま死んでいった可能性が高いと思います。
ちなみに、今夜のボクは、10/27にイトーヨーカドーのネットスーパー購入した小丼で夕飯を食べました。その日、それを見た母親が「いい柄だね」と言っていたのを思い出しながら。
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